哲学における「アクセス」

いかなる必然性にも確率にも従わず、先行する状態にまったく含まれていない状態を創発させることができる時間。そのような時間を考えるとき、現在は未来をはらんでいるわけではなく、過去の経験から未来を予測することもできない。それは人間にとって厳しい現実となるかもしれないと同時に、わたしたちの未来が、充足理由律から解き放たれることを意味している。浅野紀予「思弁的世界とコミュニケーション」

去年の春に書いた「思弁的世界とコミュニケーション」という記事を、わたしは当初、「詩と経験と因果律」と題していました。記事のなかに「因果」の二文字は出てきませんが、そこで試みたのは、あらゆるものごとに必然的な因果関係があるとする「充足理由律」を疑ってみることでした。

わたしたちは、何かが起きるとその原因を知りたくなりますし、それを次の結果に結びつけようとするものです。つまり、悪い結果が起きた場合にはその原因を取り除こうとし、良い結果が得られたなら、また同じ原因を作り出すことで再び良い結果を得ようとします。その積み重ねは「経験則」として、自分だけの、あるいは他の誰かと共有できるかもしれない、大切な資産となっていきます。

わたしが20年近く携わってきたWebの領域でも、そのような経験則は大切なよりどころとなり、現在あるようなWeb技術の標準仕様やガイドライン、あるいはさまざまなライブラリやフレームワークを生み出してきました。

とはいえ、経験則は常に役立つとは限りません。以前はうまくいったやり方が通用しなくなったり、まだ経験したことのない新たな取り組みが必要になるとき、わたしたちは手持ちの経験則を超えて思考することを迫られます。経験則の源にある「事実性」を思考の限界にするのではなく、ものごとのうちに「それ自身の他にはいかなる限界もない偶然性」を見出し、それと向き合うこと。その可能性を教えてくれたのが、わたしとほぼ同世代の哲学者、カンタン・メイヤスーだったのです。

メイヤスーの著書や論文を次々と読んでいた頃、わたしには一つ気になったことがありました。それは、彼が「アクセス」という言葉をたびたび用いることです。たとえば、カント以来の近代哲学を支配してきた認識の捉え方を「相関主義」と呼ぶことについて、こう述べています。

私たちが「相関」という語で呼ぶ観念に従えば、私たちは思考と存在の相関のみにアクセスできるのであり、一方の項のみへのアクセスはできない。したがって今後、そのように理解された相関の乗り越え不可能な性格を認めるという思考のあらゆる傾向を、「相関主義」と呼ぶことにしよう。カンタン・メイヤスー『有限性の後で』

また、先ほど触れたような、ものごとに潜む偶然性を語るところでも、「アクセス」という言葉が現れます。

ただ思考のみがそうした偶然性にアクセスできるのであり、それは、現象の見たところの連続性の下に潜んでいるカオスへのアクセスに相当するのである。カンタン・メイヤスー『有限性の後で』

「観念」「存在」「現象」といった哲学用語に混じって、やや毛色の違う「アクセス」という言葉が現れるところに、わたしは目を引かれました。カントは『純粋理性批判』のなかで、人間は物自体についての認識(Erkenntnis)を持つことができず、知覚や直観によって捉えられた物自体についてのみ認識できる、と述べていました。なぜメイヤスーは、「認識」ではなく「アクセス」という言葉を使うのだろうか。そんな疑問が浮かんだのです。

メイヤスーと同世代の哲学者であるグレアム・ハーマンも、「アクセス」という言葉を使うことで知られています。彼はメイヤスーとは別のアプローチから「因果」の問題を見直し、世界に対する人間の「アクセス」の特権化に抗うことを試みています。また、オブジェクト指向、プロキシ、ファイアウォールといったコンピュータ用語を哲学の文脈で駆使する彼は、「アクセス」という言葉にも、人間の行為に限定されないシステマティックなニュアンスを持たせているように感じられます。

実在的(real)オブジェクトは人間による感覚的(sensual)アクセスを越えては現実存在しないのだと、わたしが主張するにしても、それはカントによる現象と本体との区別と混同されるべきではない。カントの区別は、人間だけが被るものだ……因果の問題を復活させることが意味するのは、認識論的な暗礁から逃れること、関係が意味するものの形而上学的な問いを再提起すること、である。グレアム・ハーマン「代替因果について」

メイヤスーとハーマンがそれぞれの思想を語るなかで用いる「アクセス」という言葉には、人間の理性に支えられたカント的な「認識」とは違う、新しいニュアンスがこめられているように思えました。認識がおもに目と頭を使って行なうことだとすると、アクセスという行為には、身体ごと何かに近づき、入り込もうとする感じがあるからです。

そして、自分が対象にアクセスしようとする意思(intention)が生まれるとき、対象へのアクセスの可能性、すなわち「アクセシビリティ」が見出されるのではないかということに、わたしはふと気づいたのです。

アクセスの欲望とその来歴

わたしがWebの仕事を通じて考えてきたのは、あくまでその対象自体が備えるべき性質としてのアクセシビリティだったと言えるでしょう。サイトやコンテンツに備わっている一定のアクセシビリティが「原因」となって、どんな人がどのようにその対象にアクセスするかという「結果」が決まる、ということです。

でも、Web誕生以前のはるか昔から、わたしたちがさまざまな人やものや場所にどのようにアクセスしてきたのかを考えると、その一方向的な因果関係は、実際のアクセス体験を十分に表していないように思えます。本来のアクセシビリティとは、そのように静的に定まっているのではなく、わたしたちが対象にアクセスしようとする意思によって動的に生成され、その対象に与えられているのではないでしょうか。それは意思というより、もっと感情的な「欲望」と呼んでよさそうです。

これは、自分という「実在的(real)オブジェクト」がアクセスしているのは常に「感覚的(sensual)オブジェクト」であるとする、ハーマンの思想にも重なるように思えます。その見方に沿うならば、わたしたちはあらゆる関係から離脱したあるがままの存在としての対象にアクセスできるわけではなく、自分が概念的/経験的に知覚するさまざまなプロフィールを対象に与え、それらとのインタラクションを通じて対象にアクセスしていることになるからです。

そして、アクセスの欲望を育んできたのは、人が歴史のなかで生み出してきた、さまざまな技術の力だと言えるでしょう。陸上交通や航海の技術がめざましい発展を遂げていた中世ヨーロッパで生まれた 「access」という単語は、「approach(近づく)」と「enter(入り込む)」の二つの意味を持ち合わせています。また、何かに近づいて入り込むだけではなく、そのための手段や、さらにはそれを行なうための権利や自由まで意味することもあります。またこの時代には、書写を職業とする人々が現れ、庶民にも本が入手できる書店が誕生するなど、いわば知識へのアクセスの可能性も拡がりつつありました。技術の力が、当時の人々に次々と未知のアクセス体験をもたらしたことが、この新たな言葉を生み出したのかもしれません。

そして、わたしたちは技術によってアクセスの欲望を満たすと共に、より一層の欲望にかられ、それを叶えようとして新たな技術を求めることを繰り返してきたのではないでしょうか。その途上で、Webという技術が生まれたのだと、わたしは考えています。

Webが生んだ新たなアクセス体験

Webにおけるアクセスとは、従来の人やものや場所へのアクセスとは異なる、まったく新たな体験でした。それは、アクセスの概念に革新をもたらした二つの技術を土台として、Webが生まれたことに起因していると思います。一つは、通常はシーケンシャルに読むことになるテキスト情報に相互参照のためのリンクを張りめぐらせ、非線形的なアクセスを可能にした、ハイパーテキストという新たな文書形式。もう一つは、当時すでに地球規模のオープンなネットワークとなりつつあった、インターネットというシステムです。

ハイパーテキストという用語を考案したテッド・ネルソンは、注意欠陥障害(Attention Deficit Disorder、ADD)を抱えていたといいます。頭の中でとめどなく増殖していく連想に追いつけなかった彼は、ささいなことで集中を妨げられ記憶が不確かになってしまうため、自らの考えにいつでも確実にアクセスできる手段を模索していました。そこで閃いたのが、あるテキストから拡散していくあらゆる思考のルートを追跡できるシステムを、自らの力で創り出すというアイデアでした。そのような分岐を含む非線形的な文書をハイパーテキストと名付けた彼は、それをもっとも理想的な形で活用する「ザナドゥ(Xanadu)」というシステムを構想するに至ります。そして、誰よりもまず自分自身のアクセスの欲望を満たそうとした彼は、やがて「すべての人びとによるアクセス」を目指すようになります。

統一された電子的文献を新たに実現すること。過去の自由を再び燃え上がらせ、それを電子的な未来の自由に継承していくこと。そして、すべての事象をつなぎ合わせて誰もが入手できるようにすること。テッド・ネルソン『リテラリーマシン』

欧州原子核研究機構(CERN)の研究者としてWebを生み出したティム・バーナーズ=リーも、そのようなアクセスの欲望を原点としていたように思います。彼はWebの原型となるプログラムを「Enquire」と名付けましたが、その由来となった『Enquire Within Upon Everything(万物探索知識宝典)』という本との出逢いについて語っています。それは、彼が少年時代にロンドン郊外の自宅で見つけた、かび臭い本でした。

魔法に関係のありそうな題名のこの本は、ヴィクトリア朝時代の生活上のヒントを集めたもので、さまざまな情報の世界への扉の役割を果たしていた……この本はWebについての的確なたとえにはならないとしても、Webというアイデアへの素朴な出発点にはなり得るものである。ティム・バーナーズ=リー『Webの創成』

わたしがここで目を引かれたのは、「扉」という言葉でした。ある一冊の本が、ただの紙とインクの寄せ集めではなく、まるで世界にアクセスできる魔法のドアのように感じられたこと。それは、ティム少年がアクセスの欲望に目覚めるきっかけだったのではないでしょうか。

大人になったティム・バーナーズ=リーは、ハイパーテキストとインターネットを結び付け、Webという新たなシステムを生み出しました。しかし、テッド・ネルソンと同様に、彼の願いは「すべての人びとによるアクセス」へと拡がり、それが現在に至るまで、Webアクセシビリティの理念として受け継がれているのだと思います。またそれは、年齢や能力や生活状況に関わらず、あらゆる人にとってできる限り優れたものをデザインしようとする「ユニバーサルデザイン」の思想にも影響されていたはずです。

すべての人が持つ障害(disability)

Web誕生以前のアクセシビリティは、おもに建築の分野で扱われていました。「ユニバーサルデザイン」という言葉を考案したのも、米国の建築家であるロナルド・メイスです。彼は、ティム・バーナーズ=リーが世界初のWebサイトを公開する2年前の1989年に、ノースカロライナ州立大学でアクセシブル・ハウジング・センター(Center for Accessible Housing)という組織を設立しました。これは後にユニバーサル・デザイン・センターと名前を変え、現在に至っています。

1970年頃、米国の建築基準法で初のアクセシビリティ対応に携わったメイスは、特に障害のある人びとの権利を守ることを目指し、それを数多くの建築プロジェクトで実践すると共に、米国の公正住宅法などの法的整備にも尽力しました。

ここで注目したいのは、メイスが「disability(障害)」のある人とそれ以外の人を分けようとする世間の常識を打ち破ろうとしていたことです。彼は1998年、亡くなる1ヶ月ほど前に行なった最後のスピーチで、実はユニバーサルデザインの根底にあるのは、すべての人が「障害のある人」なのだという考え方であることを語りました。なぜなら、人は誰でも年齢を重ね、それまでできたことができなくなっていくという「dis-ability(能力の低下や喪失)」を経験しながら生きるものだからです。

1960年代に始まった「ノーマライゼーション」の思想も、障害のある人の権利を守るという点ではユニバーサルデザインに通じていますが、そこには「障害者」とそれ以外の「健常者」を区別して考えるという前提があったと言えるでしょう。そして、能力的に問題なく自立できている人をノーマルとみなし、ノーマルでない人は少数派だとする見方は、現在でもまだ一般的なものです。あらためてメイスの「disability」という言葉の意味を考えると、そういった常識をいかに覆そうとしていたのかを伺い知ることができます。

建築でもWebでも、「すべての人びとによるアクセス」という究極の目標を叶えるための確実な出発点は、実際に誰がどのようなアクセシビリティの問題に悩んでいるのかを洗い出し、個々のケースについて具体的な対策を講じることだと考えられてきました。Webの領域では、W3Cが1999年に勧告した「Webコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン(WCAG)」が、それを実践するための重要な足がかりとなりました。

2008年に1.0から2.0へバージョンアップしたWCAGは、Webコンテンツのアクセシビリティを定量的に評価するための基準となり、障害のある人にも使いやすいサイトを作るために不可欠なガイドラインとなっています ※1。また、このようなガイドラインによる標準化は、Webブラウザに代表されるユーザーエージェント、およびスクリーンリーダーや画面拡大ツールなどの支援技術(assistive technology)の開発促進にもつながりました ※2。コンテンツ制作だけでなく、Webを利用するためのソフトウェアやハードウェアの開発においても、ガイドラインの遵守が着実に進んだことで、WCAGはWebアクセシビリティに関する「経験則」としても役立つようになったと言えるでしょう。

Webアクセシビリティにおける誤解

数年前の自分自身を振り返ってみると、いつのまにか「Webアクセシビリティは二段階に分けられる」という思い込みが生じていたように思います。

まず一つは、WCAGを遵守することで実現しやすい「機能的アクセシビリティ」です。この段階は、障害のある人を含め誰もがアクセスできる機能的条件が整っている状態を意味します。しかし、アクセスできる対象が目の前にあるのに、どうもアクセスする気になれないという事態が、実際には起きてしまいます。それは、たとえば見た目の好き嫌いや、安全面での懸念など、さまざまな心理的問題が生じているからです。それを乗り越え、「機能的アクセシビリティ」の先にある「心理的アクセシビリティ」まで達成するには、ガイドラインに沿って機能的に要件を満たすだけではなく、心理的にも満足できるようなデザインの力が必要になる。わたしはきっとそのように考えており、同様の考え方でWebの仕事に取り組んでいた人も多かったのではないかと感じます。

ティム・バーナーズ=リーがW3Cを設立する数年前には、米国で「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act of 1990、ADA)」が施行されていました。ノーマライゼーションの思想に通じるWCAGの基本的スタンスは、障害による差別をなくそうという当時の社会の気運を色濃く反映していた面もありそうです。また、Webをめぐる当時の技術環境には、現在と比べるとかなりの制約があったことは言うまでもありません。そうした時代背景を振り返ると、WCAGが制定された当時の状況では、「機能的アクセシビリティ」が達成できれば必要十分とされるケースもあったと思います。

しかし、その後現在に至るまで、わたしたちとWebの関係は、時間や場所、デバイスによる制約から次々と解放され、より自由なものへと変わり続けてきました。パソコンのディスプレイの前に座ったままでWebのなかを動き回るという、いわば身体的移動なきアクセスが主流だった時代は、とっくに終わりを告げています。わたしたちはモバイルデバイスやウェアラブルデバイスによって、いつでもどこでもWebというメディアにアクセスできることを、当たり前のように体験しています。しかも、オンラインとオフラインの世界は排他的なものではなく、重なり合い、融け合うようにして、わたしたちのアクセスを誘っているのです。

こうしたWebというメディアの性質を知った上で、自分にとってより望ましいメディアを選ぶこともあるでしょう。テッド・ネルソンの拡散的な思考を反映するような、たくさんのリンクが張り巡らされたWebページには、それ自体に集中することを妨げる性質もあります。そのWebページのコンテンツがPDFでも提供されていれば、それを印刷して読むほうが集中しやすいという人も多いでしょう。また、Web小説やWebコミックが書籍として出版され、オフラインメディアとなることも珍しくありません。

一方、リファレンス性の高い技術書や辞書のような本を紙面ではなくデジタルメディアで閲覧できれば、簡単に中身を検索できたり、持ち運びの手間が減るというメリットが得られます。プロジェクト・グーテンベルクや青空文庫のように、Webで公開中の本を電子書籍アプリやデバイスでも読める場合には、Webよりも自分の好みに合わせた表示スタイルで読むことができます。音楽や映像についても、テレビで放送されたり、CDやDVD/ブルーレイディスクでパッケージングされたものをWebで視聴できるケースは、ますます増えつつあります。Webを含めたメディアの選択肢は、以前よりもはるかに多様化してきました。

このように、技術の発展に伴ってユーザーがより自由なアクセスを手にしていくことは、技術を用いて何かをデザインする立場から見れば、より大きな不可知性に向き合うことを意味します。どんな人が、いつどこで、どのようにものごとにアクセスするのか、そのあらゆるケースを想定することは、ますます難しくなっています。これまで得た結果から原因を推測して対策を行なうことや、それを経験則として積み上げていくことには、もはや限界があるのです。

実際わたしたちは、アクセス体験においてアクセシビリティを二つに分類し、段階的に判断しているわけではありません。何かにアクセスするわたしたちは、機能的か心理的かという区別なく、その体験を成り立たせるあらゆる条件を一斉に与えられるのです。Webが誕生してから現在まで、それが時間や場所、デバイス、さらにはメディアにも囚われない体験へと変化してきたことを思ったとき、わたしはそれまでの二段階的なアクセシビリティを見直したくなったのです。それは、アクセシビリティ対応の基本方針となってきた「代替的発想」を、あらためて考える契機にもなりました。

拡がる代替的発想

通常のアクセスができない場合に、それに代わる手段を提供するという代替的発想は、Webに限らず、障害者や高齢者のためのバリアフリーデザイン全般に通じる考え方です。W3Cは、WCAG 2.0を勧告する約1年前に「HTML Design Principles」というHTMLの設計原則を公開していますが、WCAGにも共通する代替的発想を、このように掲げていました。

障害のあるユーザーに対してアクセシブルになるように機能を設計すること。能力の如何に関わらず、誰もがアクセスできることが肝要である。ただし、ある機能を一部のユーザーが十分に利用できないからといって、その機能を完全に削る必要はない。そのような場合には、代替的メカニズムを提供できればよいのである。W3C “HTML Design Principles”

代替的メカニズムを利用するということは、人間の側から見ると、対象にアクセスするために通常とは異なる感覚を代替的に用いることであるとも言えます。

たとえば、視覚について考えてみましょう。文字を目で読むことができない場合、スクリーンリーダーを利用したり、点字を指でなぞったりしてアクセスしているときには、聴覚や触覚が視覚を代替しています。しかし、わたしたちの目が行なうのは、文字を読み取ることだけではありません。むしろ、文字に還元できないイメージを感じ取ることが、視覚による体験のほとんどを占めているようにも思えます。スクリーンリーダーや点字によって、そのようなイメージにアクセスすることは、まず不可能でしょう。

これからの時代には、失われた感覚を別の感覚で代替するのではなく、その感覚自体をバイオニック(生体工学的)技術によって回復させるという解決策がさらに身近になり、代替的発想は新たな拡がりを見せるはずです。たとえば、人工内耳や人工網膜は、マイクやカメラが受け取った情報を電気信号に変え、体内にインプラントした電極に送信して神経に伝えることで感覚的な体験を実現する技術として、着実に実用化と普及が進んでいます。さらには、コンタクトレンズ型のデバイスで眼圧を加えることでものを見分けるシステムや、腕に装着するスリーブ型の音声レシーバーが皮膚で感知した信号を送ることで特定の音声を聴くことができるシステムのように、斬新な発想から生まれた技術の開発も行なわれています。これらの「触知的」なインターフェイスにおける、触覚と視覚/聴覚の関係は、一方が他方を代替するのではなく、触覚を活かして視覚や聴覚によるアクセスを取り戻すという、新たな関係へと変化していることになります。

現在では、物理的な入力デバイスを使わずに、脳から直接コンピューターに入力信号を送るインターフェイスの開発も進行中です。ひと昔前にはSF小説のなかの作り事としか思えなかったような仕組みが、いつか現実になるかもしれません。こうした技術が実用化できるのか、普及するまでどれだけの時間がかかるのかは未知数ですが、たとえば四肢が不自由なためにマウスやキーボードが使えない人にとって、新たな代替的手段となる可能性を秘めていることは確かでしょう。

こうした未来の技術は、障害のある人にとって大きな助けとなるだけではなく、アクセスの欲望をよりダイレクトに実現する手段となります。障害の有無を超えて、より多くの人に利用されていく見込みが十分にあるのです。コンピューターを操作するための技術的なスキルの必要性は薄れ、情報格差(デジタルディバイド)が解消へと向かうことも考えられるでしょう。ただし一方では、マウスやキーボードではなく自分の思考そのものをコントロールするという、未知のスキルが必要になるはずです。これまでにない形で人とコンピューターがインタラクションするようになるとき、そこには新たな可能性と限界が同時に生まれてくるのです。

変わるもの、変わらないもの

実は、WCAGはW3Cが独自に作り上げたものではなく、米国のウィスコンシン大学マディソン校で1971年に設立された、トレース研究開発センター(Trace R&D Center)のWebアクセシビリティガイドラインを引き継いだものでした。そのセンターの創設者であるグレッグ・ヴァンダーハイデンは、自らがアクセシビリティの探求に目覚めるきっかけとなった出来事について、こう語っています。

まだウィスコンシン大学の学生だった頃、僕がアルバイトをしていた行動サイバネティクス研究室にやってきた同輩のデヴィッド・レイマーズから、脳性麻痺のために話すことも書くこともタイピングもできない少年の話を聞いたんだ。彼を助ける方法を考えるのを手伝って欲しいと言われて、いくつか自分のアイデアを話した結果、ちょっと実際に様子を見せてもらうことになった……僕が出会ったリデルという少年には、援助を必要とするようなハンディキャップの持ち主という印象はなかった。重い障害を患いながらも、面白くて賢い(そして時にはやんちゃな)男の子だったよ。幅30センチで高さ40センチほどのベニヤ板に焼き付けたアルファベットといくつかの単語を、かなりの時間と労力をかけて指さすことが、彼の唯一のコミュニケーション手段だった。グレッグ・ヴァンダーハイデン

リデル少年が、その指さしボードを使ってコミュニケーションを成立させるには、彼が何かを伝えようとする相手も、辛抱強く付き合わなくてはなりません。そのせいで彼は、授業を受けたり宿題をこなしたり、一人で何かをやり遂げることもできなくなっていました。ヴァンダーハイデンは、リデル少年の熱意に打たれると同時に、彼のためのインターフェイスを考え出したいという意欲にかられてアルバイトを辞め、レイマーズや他の学生たちと一緒に、その開発のためのボランティアグループを作りました。そのグループがトレース研究開発センターという組織となり、リデル少年と同様の境遇にある多くの人の注目を集めながら成長していったのです。

手が不自由なリデル少年の代わりに、その指さしボードを作ったのは誰だったでしょうか。家族であれ友人であれ、その人はヴァンダーハイデン以上に、リデル少年の熱意をよくわかっていたことでしょう。そして、より使いやすい文字のサイズや配置を考えたりしながら、一緒にボードの改良を重ねていたことも想像できます。プロのデザイナーではなくても、頼るべきガイドラインが存在しなくても、彼らは自分の力でアクセシビリティについて考え、それを形にしていたのかもしれません。

そして、ヴァンダーハイデンがリデル少年に出会ったのは、今から40年以上前、パソコンさえなかった時代です。後に彼が考案した「Autocom」という装置は、リデルの指差しボードを電子機器として作り直したようなキーボード型のデバイスでした。それはもちろん、手作りの木製のボードよりはずっと高機能なものでしたが、当時の技術環境の下では、「手を使って操作する」という根本的な前提を見直すまでには至らなかったのでしょう。

もし今の時代に、わたしたちがリデルのような少年に出会ったとしたら、異なる前提から解決への道を探るはずです。つまり、どうすれば「手を使わない操作」が可能になるかを考えるところから出発する、ということです。実際に、今では主要なOSは音声コマンドによる操作に対応していますし、ユーザーが話しかけると自然言語処理によって質問に答えたり、必要な情報を探してくれるパーソナルアシスタント型のシステムも、どんどん精度を向上させています。また、目の動きによってコンピューターへの入力ができる視線入力装置は、低コスト化が進んで一段と手が届きやすくなっています。脳からコンピューターに直接入力を行なう次世代のインターフェイスも選択肢の一つとなるかもしれません。

今後もこうした技術の進化が、あらゆるもののアクセスの可能性を拡げていくはずです。また、わたしたちは自分がアクセスする立場だけでなく、アクセスされる立場でもますます判断を迫られることになるため、不正なアクセスから身を守ったり、意図に反したアクセスを防いだりすることも必要になるでしょう。

わたしたちは、こうした相反するアクセスの問題を、技術によって変化した環境に起因するものと捉え、別々の問題として考えてきました。しかし、実際は人間だけが特権的にアクセスをしているのではなく、アクセスの可能性を秘めたものが世界に満ち溢れ、人間もその一つとして世界のなかにある。そう考えるほうが、わたしたちの周りで起きていることをうまく言い表せている気がします。

ただ、アクセシビリティを考える出発点は、わたしたちが自分自身のために、時には他の誰かのためにアクセスの欲望を叶えようとすることであり、それはこれからも変わらない。わたしは、そう思うのです。