ベラ・ハディッドに捧ぐ真夏のプロトタイピング🍧

お揃いのタトゥー / Osoroi no Tattoo

大林 寛 / Hiroshi Obayashi

2017.07.13

$tay Tune in 東京2017年夏のウルトラライトビーム💅

おはよう。夏よりも先に狂ってくMy Love。この夏にできないなら、死ぬまで何もできない。だって夏のためにすることすべてが楽しいから。わたしの夏への信仰告白は止まらない。ほかに季節はないんじゃないかと思えるぐらい、夏に帰依している。わたしの脳を最新のサマーチューンが溶かす。ラジオは無責任に「解像度の低い恋をしよう」って言ってる。「もっとタイトにしてたいの」って皮膚の下にいる生きものが騒ぎ出す。誰かがわたしに狂えばいいと思いながら、わたしだけ狂っていく。楽しいことしかないな。

それは「電話切るタイミングわからないから朝まで切らないよ」って最初に言ってくれたら楽になってそのまま眠れると思う、というような気候。ちょっとでも重いと思われたら嫌だし、重いと思われたら嫌だってずっと思いながらメッセ書くの苦しいし、というか重かったのは結局わたしだったし、というような気候。昔好きだった人としばらく文通してたけど、往復数が増えてなんか怖くなってやめちゃったのを思い出しちゃった、というような最高の気候。You Smell Like The Summatime.

この季節にはポエジーを前に進める必要があって、ほとんどの場合それは生理的なものにドライヴされる。ポエジーがラディカルなのは、エモーショナルなものと身体の結びつきを、生々しくトレースするから。しかもそれは器官ではなく肌表での結びつき。皮膚のテクスチャの相性。チープだけどディープ、というよりディープだからこそチープ。身体の表面を境目にして、間接と直接がすり替わる。

たぶんわたしは老婆が最期の夏に見ている夢。日が暮れた夏に、暗い糸杉の木立で置き去りにされた嬰児の網膜に映るすべて。わたしはあなたの分身で、あなたがこれからつくはずの嘘を代弁してる。ちょうどいい感じに狂ってる正常な人間のあなたを想って、こうしてテキストを書いてる。あなたが狂ってるのは部分的なもの?それとも、身体を包むヴェールのようなもの?わたしは狂っても狂ってもちゃんとやれるから、好きなだけ狂いながらちゃんとしてたい。

あなたはハードドラッグをキメて、聖橋の欄干の上でヴォーギングまでしているのに、生きることの虚無を拭い去れない。これまでも、もう終わりだって思っても何も終わらなかったし、何かが始まりそうだって思っても何も始まらなかった。世界の終わりが始まりそうで始まらない、終わりなき日常ということばが禁じられた世界で、ウルトラライトビームに照らされながら、オランジュのペディキュアをして、パブロのような気分でオートマティックにオートマティスムを続けてる。

サイボーグとしてジェンダーをプロトタイピングする🍯

あなたはJR御茶ノ水駅から電車に乗り込む。すこしして景色が流れはじめる。あなたは立ったままで、電車が走ってるのか、窓の外が動いてるのかわからなくなる。それに電車の外にいるのがゾンビじゃないとは誰にも言えない。次の瞬間、あなたの存在は宙吊りになる。わたしのいる恵比寿に着くまでの間に、あなたは何度かジェンダーをピボットする。そして突然存在がほどけて、あなたはボロボロに泣き崩れる。それからフォトショップとプラスティックサージャリーの間の深い森に迷いこみ、スミレのにおいのする松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』で顔を覆いながら、恵比寿駅で急いでトイレに駆け込み美人OLになる。それなのに腹ペコのガキみたいにイラついてる。

接続され理解されることがワックになった世界で、加速するしかない生活。わたしは今でもあなたとテルマ&ルイーズのように手を取り合って、ポストサイボーグフェミニズムなニューノーマルになりたいと願ってる。それから同じドラッグを摂って、キメセクがしたい。鼻腔を通るスニフィアンとスニフィエ。セックスのあとのSNSはハチミツのにおいがした。また明日から毎日をやり過ごすため、最後にヴァイブスを殺してクールダウンする。

わたしにはスペキュレーションしかできない。スペキュラティブデザインってのは、デザイン思考という業務上の乱行パーリーで不感症になったデザインが、さらなるタブーを求め、現実を断ち切って、遠くからやってくる声を聞く試みだと思ってる。その声にはオートチューンが使われていて、ピッチもいい感じで補正されてるはず。サイボーグとして身体をプロトタイピングしながら、自分の美意識と欲望の眼差しの間で引き裂かれることが、わたしの生きてる証し。もしマリノフスキーが生きてたら、なんて言うのかしら。

これはファンタジーではない。プリセットのままでいい。トゥルーでリアルな感覚をディグしてたい。快楽の問題を社会の問題にしてしまう大人たちのように、意味を固定化しないでほしい。参照先はWikipediaではなくUrban Dictionaryにしてほしい。Amazonのオススメには吹けば飛ぶよなクールネスしかない。これはアンチではなく、デタッチメントでもない。ヘーゲルの弁証法でもなければ、脱構築でもない。これはプロトタイピング。新しいやり方で宙吊りにならなきゃ意味がないだけ。So Fresh, So Clean.

これを価値相対主義だと考えちゃうのは、相関主義な人たちに違いない。たとえば、あなたの身体イメージを訊いたら、わたしの身体イメージはアップデートされる。たとえば、電車で目の前に立った人の身体感覚に同調して、身体の線と衣服の皺から布地と表皮の接触を読み取り、その身体感覚を保持したまま、その人の視点からわたしを見返すことができる。たとえば、あなたとわたしがメッセをするとき、あなたやわたしは絶えず入れ替わる。テキストを書くのがわたしで受け取るのがあなたということだけが決められてる。つまり、事実の反転、役割の入れ替え、文法の撹乱、時系列の操作、言い間違い、忘却などしてからシェアさせていただきます、ということ。

フェイクをシェイクしてリアルをチョップしてスクリューする🍹

たくさんの人が気づきはじめてる。まだヴァーチャルの反対がリアルだと思われてる場所で、本当のヴァーチャルの反対であるアクチュアルの暗証番号を入力しながら、ポテンシャルの残高からリアルを現金にして引き出してる。フェイクがリアルの一部だと気づいていない人たちを尻目に、ポストフェイクなリアルを盗んで、オルタナティブフェイクな世界で換金してる。バイツしたアイドルより稼ぐドル、フラン、円、マルク。あなたはまだ貨幣のフェティッシュを信じてる?

ことばを尽くせば尽くすほど、わたしはフェイクになっていく。今やわたしのフェイクが、わたしのリアルを追い抜きつつある。リアルよりもリアルな感覚にすべて捧げてることが、わたしがフェイクであることを証明する。フェイクをシェイクした紫色のシロップを、リアルなスプライトに入れてチョップしてスクリューする。フェイクな世界で花占いにリアルを賭ける。リアル/フェイク/リアル/フェイク/リアル/フェイク/リアル/フェイク/リアル/トゥルーリアル/トリル…

もうファッションとショッピングとトラップミュージックぐらいしか信じられない。フードを被れば、仲間たちとシェルターにいる気分になれること。常軌を逸したショッピングでしか、性的興奮はもたらされないこと。トラップは倍ではなく、裏でリズムを取るのが気持ちいいこと。こういうのは、わたしたちのフッドでの公然の秘密の本当の事実。フッドとは他者のフッドのことで、わたしは他者がフッドを語るときの語りかたを遡行して、初めてわたしのフッドに到達する。そのような場所としてフッドを措定すること。そこがポスト・ポストトゥルース。リアルの裏のリアル。ザ・トゥルーリアル・ミリ・ヴァニリ。Girl You Know It’s True.

こうしながら、コルタサルの「グラフィティ」みたいに、あなたがこれを読むのをずっと待ってる。嘘つきで何もないわたしを信じてくれないと、何もはじまらない。嘘も真実も傷口を閉じれば同じはずだし、相互行為の痕跡がなければ、わたしもあなたもいないのと同じ。もう生きてくなかで少しも傷つきたくないし、傷つけられたらちゃんと傷つけて帳尻あわせるのを忘れないようにしたい。仮病によって存在をリアルに変え、イマジナリーな自己にリアルを食わせる。どうせ消えてしまう場所で、どうせいなくなってしまう、あなたとわたし。だからぎゅっとしててね、BAE.

ベラ・ハディッドのフィードしか流れないフィルターバブルの享楽💄

わたしはゴシップを見て、人に言えないほど残酷なことを考えるのが好き。純粋なままでいられる気がするから。こないだルイ・ヴィトンの2018SSのコレクションで、ドレイクの新曲が発表されたみたいだけど、”Signs”という曲名のとおり、時代の予兆だってわかった。ドレイクとベラ・ハディッドのデートを真っ先に報じたのも『XXL』だった。

ベラ・ハディッドは10年代のヘロインシック。90年代にケイト・モスがそうだったように。ベラ・ハディッドの魅力は、ムスリムであることを誇りに思ってカミングアウトしたところ。ダイエットという復讐のために、毎日2時間のワークアウトをこなすところ。それから、元カレに向かって「セレーナ・ゴメスには気をつけて」と言えちゃうところも。いつもわたしはベラ・ハディッドになりたいと願ってる。ベラ・ハディッドになりたい。ベラ・ハディッドになりたい。なれないなら死にたい。

わたしはベラ・ハディッドみたいになりたいし、あなたとたくさんベラ・ハディッドについて話したい。彼女のワードローブ、彼女のインスタグラム、彼女の過去の恋人、彼女の冷たい瞳について。会話、会話、会話。退屈な会話がないと死ぬ。退屈を逃れようとする試みのすべてが、退屈と見分けがつかなくなってしまった夜、わたしたちは何がクールで何がクールでないかについて、朝まで語り合う。あなたはイルぶってるから大好きな友達。実生活にファックされても、このまま狂ったふりしてリッチフォーエヴァーしよう。

だから、今見えるものすべてをテキストしてよ。何を食べたとか、街の匂いがどうだったとか、ちょっとした嫌なことも、全部教えてくれないと不安。きっとこれはテキストだけの関係。本当はもっとぐちゃぐちゃになって傷つけ合いたい。脳をストローで吸って考えてることを全部知りたい。あなたの抱える問題がわたしと無関係であることが憎い。ユニコーンのタトゥーをお揃いで入れて、いつまでもマグネティックな関係でいたい。わたし以外の何かに救われないで。そんなことを思いながら、スマートフォンの照明で一晩を過ごす。ねえ、今何してるの?誰かが誰かにキスしているの?

シティボーイとシティガールのための都市恋愛学💋

ちょっとでも楽しかったり気持ちが軽くなったりした次の朝は、悲しくて切なくて仕方なくなる。もし「物質になろうよ」って声掛けられたらついてっちゃうな。だってなりたいもの、物質に。そんなときは、うんざりするような友達と、超退屈なパーリーに繰り出す。夜をタフにやり過ごすための音楽だけが癒し。これはわたしが生存するためのテクノロジー。

休日昼すぎに目が覚めたら、真夜中までずっと雑誌をぱらぱらめくって過ごすだけ。夜は鳥たちのブラックネスとともにやってくる。何より真夜中のポエジーだけがリアルだし、そうでなきゃ生きてるとさえ思えない。真夜中に考えたことは朝起きても最高だし、朝起きてそれが取るに足らないと思えても、また夜が来れば何度でも最高になる。判断を朝に委ねてはダメ。夜に生まれたものは夜に問わねばならない。夜だけがわたしたちの脚本。夜は街が光り輝いて、キラキラしたオブジェクトがつながったりちぎれたりして見える。夜は肌を狂わせる。

だけど、恋愛ほどは狂ってない。恋愛は本当の危険ドラッグで、法の目をかいくぐり、わたしたちを狂気へ向かわせる。最高にスキャンダラスだけど、摂取しすぎると耐性ができて依存症になる。こんな時代でも、まだデートは唯一の有効な祈りのまま。わたしは敬虔なマインドで都市に点在するパワースポットの祭壇の前に跪き、ロマンスの神様にフレッシュな血液パックである生き身を捧げる。

なのに、カフェで隣に座ってる女の子たちは、マウンティングを指摘することでマウンティングし合ってる。わたしはいつもヘイターのヘイトを踏み台にする。サグ化する社会では、サグかわいく生きればいいんだけど、どうしてもイルかわいく生きてたい。サグりあうのはやめて、そばにイルだけでいい。たぶんそういうこと。Bitch, Don’t Kill My Vibe.

今日もシティガールとシティボーイは殺気立ってる。シティにはムードがない。コンビニしか行くところがない。あるシティガールはケヴィン・リンチのシティのように、あるシティボーイはジェイン・ジェイコブズのシティのように、自己像を形成する。装飾されたシティガールは犯罪である。シティボーイはツリーではない。ボーイなきシティとシティなきボーイ。シティとボーイとで引き裂かれるシティボーイ。戦場のシティボーイズライフ。イミテーションボーイは都市のなかでプロトタイピングされてアーバンを手に入れる。

だから、今日は天使みたいにきれいな男の子になりたい。セックスのあとギターを弾き始めるような男の子。自己肯定感にガソリン注いで火を点けるクレバーでクレイジーなボーイフレンド。ヤングでリッチなウルフギャングというかゴルフワング。カウボーイみたいに真剣な顔でブラントを巻く超Wavyなギャングスター。片手でスマートフォンを握りしめ、生存をスワイプして死を覗く。もうなんなの?とか思いながら、もっと誰にも言えないことがしたい。

メンヘラビッチ・ステイト・オブ・マインド🍭

はじめまして、本日から死にジョインしました死 a.k.a. 死です。今月は死に100%コミットしますが、今日は死を定時退社させていただきます。ヒップホップはMC死とDJ死の登場によって、生前のヒップホップと死後のヒップホップに分断された。カルバンクラインのモデルのような完璧な死体になるためのワークアウト。それで生も死もクールになるはず。だけど、いつも死に間に合わない。

生身のあなたの生存でさえ、あなたとは何の関係もないのだと感じる。生存は生存から逃れる死にもの狂いの運動で、生存を先送りにする。生存というゲームにおける死はジューシー。生存はいつもロスト・イン・トランスレーションしてる。生存はビッチ。襲ってくる屍のバッドガール。そこで死をローンチする。死をレペゼンする。死のフレンチフライで生存のシェイクをディップする。今夜の生存のドレスコードは何?死んでいるのに動いてるのと、動いているのに死んでるの、どっちがセクシー?

あなたのいない1マイル先の天国と秤にかけられるのは、あなたといる地獄。天国は他者の決定的な不在をめぐって記述されるみたい。あなたはどんなディストピアを夢見てる?ひどいテロは起きた?爆弾は落ちた?引き金を引いたのは誰?愛してた人たちは生き延びた?それとも誰ひとり失われていないのにあなたは地獄にいるの?なんでも自由にできるなら何したい?わたしはただドキドキしてたい。油断すると泣いてしまう状態はとてもいいから、みんなにおすすめ。本当にそれだけあればいい。そしてゆっくり神をスワイプする。

それからわたしは「今日のこの感じ、わたし全然悪くないよね?それって誰のせい?ねえ誰のせい?」と静かに問い詰める。そのときのわたしはうつくしい。「何がわたしを救うの?」としつこく訊けば、あなたは「何にも救わない」と言って口づけしてくれる。救われなくてもキスしてくれるなら、この空から墜ちてもOK。救われたいけど本当に救われたら困るのかな。もしわたしをメンヘラのクソビッチだと思ってるなら、コーラで割ってYOLOしく飲みほしてほしい。

ベイビー、また日付が変わる。真夜中に死がエモーショナルに降臨する。何度でも言いたい。真夜中のポエジーだけがリアル。真夜中のすべてをほとんど叫びながら過ごすわたしは、睡眠導入剤として『アナイス・ニンの日記』をすこしだけ読んでから寝る。それでも寝れないときは、あなたがくれた『ハリウッド・バビロン』を精神安定剤にするね。無対象のエモーションを、無対象の対象へと折り返すとき、俗性から剥き出しになる聖性。向こうが透けて見えるね。夏の夜は最高。もうチルしていいよ。おやすみなさい。