壺の断面が歪むとき

権力分立と希望の幾何学 #2

VECTION

2024.08.20

fig0

序. 何が問題なのか?

本稿では、先に書かれたテキスト「権力分立と希望の幾何学※1」で予告されていた「不均衡の固定化による腐敗(=劣化)」という問題を扱う。まず、前稿で挙げた「戦略のサイクルが積層している壺(のような図形)」を再掲する。我々が示した3レイヤーサイクルも、その先の「本論」にある対称/非対称5レイヤーサイクルも、この壺のある部分を切断した断面としてみることができると前稿で述べている。

前稿から続き、本稿を中間地点とする一連の論考は、この壺が示す「ゲームの幾何学」が、未だ誰も知らないメカニズムを内包する、その潜在的な深さを希望の強さとして提示する。

fig1[図1]戦略サイクルが積層している壺

「3レイヤーサイクル」と「三権分立」は、どちらにも三つの権力主体が登場するため一見同じものに見える。だが、前者は「権力の制御と被制御、あるいはメタレベルとオブジェクトレベルというレベルの違いから見た権力分立の構造」であり、後者は「政府という特定レイヤー内部の構造」という観点で区別されるべきだと、前稿で主張した。つまり、現状の三権分立は「政府(司法、立法、行政)」と「国民」という二つのレイヤーしかもたず、そこに「世界」を加えた3レイヤーサイクルによってようやく、三つの独立したレイヤーによる相互制御という形式が表現可能になるという主張だ(下図)。

fig2[図2]

fig3[図3]

3レイヤーサイクルは、制御の向き(チャネル)が一方向で、それぞれのレイヤーが自律的である場合はうまく機能する。が、制御の方向が一部逆転したまま固定されたり、二つのレイヤーが癒着したまま固定した場合にその相互抑制構造は破壊されてしまう。そのような権力分立の機能不全状態をここでは「劣化」と呼ぶ。

我々はレイヤーサイクルの劣化対策として「フェアネス評価」という手法を考えている。本稿ではこの「劣化」と「フェアネス評価」について扱う。

「3レイヤーサイクル」では、正方向であろうと、逆方向であろうと、制御チャネルの方向が全体としてそろっている場合(下図左の二つ)に、権力分立として機能する。しかし、一時的にその一部だけ制御の方向が変わって、力の不均衡が生じてしまうことがよくある(下図一番右)。たとえば、一番右の状態では、誰にも 抑制されない左下のレイヤーが、上と右下の二つのレイヤーを一方的に制御する状況が起きている。この状態では、左下のレイヤーが二つのレイヤーを制御し、右下のレイヤーが二つのレイヤーに(一方的に)制御されるという構造になってしまう。

fig4[図4]なお今後の図でも、位置関係のパターンを表すのが目的の場合、ノードのラベルは具体的な名称を使わずM,O,xのような文字を使う

このような事態に関して、本稿では次に挙げる三つの点について検討する。

(1) 不均衡が必ずしも悪ではなく、それが必要な場合がある(「テンポラリーフェアネス」)。

ということ、および、

(2) 不均衡は、どのような場合に必要で、どのような場合に望ましくないのか(どのような状態を「劣化」とするのか)。

さらに、

(3) どのようにすれば不均衡状態から、元の均衡が回復され得るのか(「フェアネス評価」の主体と介入のあり方)。

前稿の繰り返しになるが、補足しておくと、(3)のようなことを考える必要があるのは、図式の外部に「「公正さ」を評価し、姿勢をただしてくれるような自律した存在(第三者機関)」がいない、という前提をおきたいからだ。そのとき、「フェアであるかどうか?」を審判する主体自体が図式の内部にどのような利害関係を持つか検討する必要がある。そして、フェアネス評価の主体をどう選び、どこに介入させるべきか?という問題が現れる。

1. 劣化とフェアネス評価

テンポラリーフェアネスとフェアネス評価

テンポラリーフェアネス

前稿で示したとおり、3レイヤーサイクルの矢印(制御チャネル)が持つ方向は、下の図のようになっている状態が通常だと考えられる。現実がどうであるかは別として、デモクラシーの原則に従えば「政府」を制御するのは主権者である「国民」であるべきだからだ。

fig5[図5]

ただ、状況によっては「政府」が「国民」を制御する必要が出てくる場合もある。原子力発電所の事故により近隣住民を退避させるときや、感染症の拡大を抑えなければならないとき、非常に大型の台風が迫っていて被害を抑制する必要があるとき、国民が過剰に消費をひかえてデフレに陥り、そこから脱するため消費を刺激しなければならないとき、戦争が起きたとき、などだ。

このような場合、制御チャネルの方向の部分的な逆転が正当化される(下図左)。そして「適切なタイミング」が来れば通常の状態へ戻る(下図右)。このような制御の一部かつ一時的な逆転を本稿では、「テンポラリーフェアネス※2」と呼ぶ。制御の方向変化は、状況にあわせて一時的に正当化されるはずのものなので「テンポラリー」としている。

fig6[図6]

しかし、「一時的(や適切なタイミング)」とは具体的にどれくらいの期間を指すのか。長期的な視野に立って、「逆転」そのものの是非や、適切な「一時的」の期間を判定するのは一体誰なのか。歴史を参照すれば、いったん力の行使(制御)の方向が定まってしまうと、その流れが惰性化したり、既得権益化して固定したりしてしまうことは頻繁にあり、その度に政治闘争の道具とされてきた。テンポラリーフェアネスという概念に対しては、以上のような問題をすぐに指摘できる。

フェアネス評価

いま仮に、3レイヤーサイクルにおいて、一時的な制御方向の逆転(=テンポラリーフェアネス)が必要である、とする。この場合に、「逆転の正当性やその妥当な期間を評価すること」を、本稿では「フェアネス評価」と呼ぶ(なお、「フェアネス」という言葉を使っているものの、ある特定の価値観から見た正しさ、という意味はほとんどなく、図式の通常の運営がなされている=フェアである、という考え方でこの呼称となっている)。

このとき、フェアネス評価を行う資格を持つのは一体誰なのか。どのような立場であれば、そして、どのような条件がそろえば、フェアネス評価を評価者自身の利害関係から離れて行うことができるのだろうか

この問いの答えについて検討する前に、3レイヤーサイクルで利害関係(制御・被制御関係)にある二つのレイヤーが、どのような状態になったとき、その関係が「望ましくない」と言えるのかという点について確認する必要があるだろう。フェアである状態を探るために、「望ましくない状態を避ける」というやり方をしたいからだ。

「避けたい状態=劣化」の四つの形

二つのレイヤー間の望ましくない関係

「望ましくない関係」としてまず、制御による利害関係がある二つのレイヤー間で、各々の独立性が失われる場合、つまり「(隠れて相互が結託する)癒着」や「(契約なしに勝手に制御を緩める)忖度」が発生する傾向が考えられる。その状態を、矢印が双方向になって「方向性がなくなってしまう」ことで表現する。

たとえば、二つのレイヤー間で矢印(制御チャネル)の方向性を、プラス・マイナスの数字によって表現すると、正方向を+1、逆方向を-1として、方向性がなくなった状態を0と表現することができる(数字の大きさには意味はない)。

ここで方向性0として表現し得る状態は、「(矢印が双方向になった)癒着や忖度」だけでなく、「あるべき関係がなくなってしまった(制御が失われてしまった)状態=切断」という場合もあり得るだろう。

fig7[図7]

この記法で、前稿で説明した「3レイヤーサイクルの循環」が成立しているのは、(1,1,1) または (-1,-1,-1) の状態である。しかしそれが、(1,1,-1) や (-1,-1,1) のようになる場合(制御の部分的な逆転)がある、というのが冒頭で示したテンポラリーフェアネス、およびその永続化という問題であった。しかしそれだけでなく、たとえば (0,1,1) のようになってしまう(=癒着や切断が生じる)場合でも循環構造が成り立たず、残った部分に支配関係が生じるので、問題だと言える。

「劣化」の四つの形

これまでの議論から、3レイヤーサイクルにおいて「望ましくない(=避けたい)状態」を、以下の四つにまとめる事ができる。今後は、次のような望ましくない状態を3レイヤーサイクルの「劣化」状態と呼ぶ。

(1) 癒着・忖度(レイヤー同士が実質的に合体し、ひとつになる。制御の双方向化

(2) 切断(本来制御があるべき関係が失われる。制御が効かず暴走を許す

(3) 固定(適切な時間を超えて逆転した制御方向が固定する。テンポラリーでなくなる

(4) 階層化(循環構造が壊れて階層が生じる。レイヤー間に格差が生まれる)

(1)から(3)までは、二つのレイヤー間の局所的な問題であるが、(4)の「階層化」は、3レイヤーサイクル全体が持つ構造の問題である。
階層化については少し説明が必要だろう。

(4)では、今まで「制御の部分的な逆転」とのみ表現していた (1,1,-1) というような状況を「階層化」という形に捉え直して表現している。

その理由は、部分的逆転の問題点が、「3レイヤーサイクルの制御の方向のうち、一カ所だけに逆転が起こると、循環すべき制御構造が壊れ、三つのレイヤー間に優劣(上位、下位)が生じ、実質的には階層構造になってしまう」というところにあるからだ。

たとえば、下図のような場合、右下の「国民」が最下位になり左下の「政府」が最上位になる。このとき、「政府」は、誰からも制御されることなく、他の二つのレイヤーを制御し、逆に「国民」が二つのレイヤーから制御され「最下位」になるという、点線の位置で二分されるような階層関係が生じる。

この場合、図式の一部分だけに注目して「部分的逆転」とするよりも、全体を見て「階層化」とした方が問題が見えやすい。

fig3[図8]

劣化を避ける=フェアネス評価は誰がする?

では、「劣化」を避けるにはどうすればよいだろうか?まず、いくつか仮定をたててみたい。

一つ目は、3レイヤーサイクルを備えた社会にとって、制御方向が逆転しても(一時的に)正しい場合が存在する、ということ(仮定1:テンポラリーフェアネスの存在)。これは本稿の前提となっている認識だが、無条件に自明とまで言い切れないので「仮定」である。

次に、3レイヤーサイクル構造全体の状態として、循環構造が成り立っている状態と、階層化してしまっている状態の二種類があり得る。

そして、階層化してしまっているときに、二つのレイヤー間にある制御の矢印(チャネル)の持ちうる状態は、3種類の劣化(癒着、固定、切断)と、(「適切な期間」はひとまず与えられたとして、非劣化状態としての)テンポラリーフェアネス一つ、の合計で四種類とする。癒着、固定、切断がなく、循環構造状態であるか、階層構造でもテンポラリーフェアネスである状態か、どちらかである場合が、「劣化」のない望ましい状態(仮定2:望ましい状態の存在)と考えられる。

また、利害関係(制御・被制御関係)のある「レイヤー間の局所的な関係は、自然状態では劣化する傾向がある(仮定3:自然状態での劣化)」とも仮定する。

上記の三つの仮定に加え、3レイヤーサイクルの内部にない「外のレイヤー」は使うことができない、という条件を課す(条件:レイヤーの内在性)。その理由は、「外部調査役」というような「外部」によってもたらされる「中立性」を信用するのが難しいからだ。そもそも、常に中立的であり得るような、安定的な第三者の位置を想定することはできないという認識から、我々の考察ははじまっている(前稿で示した「王様もなく、外部もなく、メタのメタもない」という条件)。

三つの仮定(テンポラリーフェアネスの存在、望ましい状態の存在、自然状態での劣化)と条件(レイヤーの内在性)を踏まえると、「劣化」を防ぐために、どのレイヤーがフェアネス評価を行うべきだといえるだろうか?

本稿では、「利害関係者以外で、かつレイヤーサイクル内に存在するレイヤーが、「レイヤー間の制御の制御=フェアネス評価」を行うべき」だと考える。

fig9[図9]点線矢印が、「世界-政府」間の劣化(癒着・忖度)に対する、国民によるフェアネス評価

このようなフェアネス評価の一例を挙げると上の図のような位置関係になる。利害関係にあるレイヤー「世界-政府」間の劣化に対するフェアネス評価は、残された、もう一つのレイヤーである「国民」が行うべきだということになる(点線矢印)。

この方針を採用するなら、以下同様に、「政府-国民」間に対するフェアネス評価は「世界」が行い、「国民-世界」間に対するフェアネス評価は「政府」が行うことが適当だということになる。

つまり、フェアネス評価の権限もまた、三つのレイヤーに分散してもたれることになる。

2. 均衡状態の分解と循環構造の要請

「均衡」と「劣化」

これまで、制御の矢印が双方向化することは、癒着および忖度であるとして、それが3レイヤーサイクルの望ましくない「劣化」した状態であると主張してきた。

しかし、三権分立についてのよくある考え方(下図参照)では、矢印が双方向になっていることによって権力間の「均衡」が成り立つということになっている。我々はなぜそのようには考えないのか。

fig10[図10]小学館『デジタル大辞泉』【三権分立】より

通常、「均衡」という言葉の使われ方には、

(1) 釣り合いが取れていて動かない=「相互抑制」

という意味と、

(2) 押されたら、押し返す=「応報・交換」

という意味の二種類がある。

上図の三権分立には、(1)(2)どちらの意味も含まれているだろう。ただし、あまりに長いタイムスパンでみるならば、ほとんどどんな関係であっても双方向的だと言えてしまう。

逆に、十分に短い瞬間を切り取ったスナップショットでみれば、(完璧に力が均衡しているのでない限り)矢印の向きは大体どちらか一方を向いているだろう。

fig11[図11]

本稿では、その一方向性が、何らかの理由(忖度や癒着)によって、「許される時間幅=状況」を超えて崩れたままになってしまうことを「劣化」だと考える。つまり、長いスパンでみたときに「均衡」しているからといって、必ずしも「劣化していない」とは言えない。

逆に、一時的に崩れ得るようなものとして「均衡」を考えており、崩れていたとしても「その状況や持続時間が適切である」ことが、「劣化ではない」ということの意味になる(テンポラリーフェアネス)

しかし、すぐ分かるように、「一時的」の幅をどうやって決めるのか?という判断を行うのは難しい。判断するのが利害関係者ならなおさらそうだ。そこから、利害関係者以外のレイヤーが、「一時的な逆転」が許される範囲を超えているかどうか判断する評価(=フェアネス評価)を行う必要性が出てくる。

補足:満足と不満足の時間配分

均衡を、「一時的に崩れることもあり得るものとして捉える」という考えを示した。では、均衡が、安定する場合を考えることは可能だろうか。仮に、全てのレイヤーが満足できる状態があり得るとしたら、その状態に達した時点で構造が安定し、制御チャネルの矢印の方向変化は起こらなくなるだろう。

しかし、全員が満足できるような状態はあり得ないとするならば、満足と不満足のフェアな時間配分として、制御チャネルの方向変化は起きつづけるべきであろう。この場合、満足と不満足との時間平均が、三つのレイヤーで等しい場合に「劣化ではない」状態だと言える(この場合も、厳密に考えれば、状態が「満足」と「不満足」の二つしかない場合と、「満足」と「不満足」の間に連続的な段階がある場合とでは、時間平均のあり方が異なる)。

不均衡の六つのパターン

以上のような見方で、「均衡状態」を分解すると、3レイヤーサイクルの場合、とりうる状態は簡単に分類できる。

三つのレイヤーについての制御の矢印の向きの組み合わせは、2の3乗で8通りある。
この8通りのうち、サイクリックな関係にある2通り(赤いグラフ)のものだけが、制御・被制御の循環構造が成り立っている状態である(下図)。

fig12[図12]

今まで述べてきたように、サイクリックではない状態では、グラフが二つの頂点グループに分割されてしまう。下図の点線で、グループの分かれ目を示す。この分割が原因で、3レイヤーサイクルの二層化=2レイヤー化(「アサイクル」)、という状態になり得る。

fig13[図13]最上位の強者(左図x)もしくは最下位の弱者(右図M)の部分で2階層化する

アサイクルとなることで、抑制者のいない最上位と、一方的に制御を受けるだけの最下位が生まれてしまう。

先に触れたように、この状態が本当に「一時的」なものであり、適切な期間続いた後にサイクリックな状態が回復されるのなら、本稿では、それを「劣化」とは呼ばない。しかし、この不均衡が回復されるとしたら、それはどのようにしてなされると考えられるだろうか。

循環構造の持つ自然な回復効果

3レイヤーサイクル構造が成立している場合には、「もし、一時的な不均衡により二層化が起こったとしても、フェアネス評価という制度を介さず、構造が自然に回復する」ことが、ある程度は期待できる。下に示すのは、その一例として、国民から政府への制御が逆転した状況を考察したものだ(なお、我々は形式的に考え得る6種類全てのパターンでの具体例を考えているが、ここでは一例だけを示す。この図式で考えるメリットは、一つの構造で6種類全ての劣化に対する対応を表現できることにもあるので、それについては、後述する)。

fig14[図14]政府→〈世界、国民〉。公害の発生時(資源制約)に、政府は、情報や法令で国民の行動範囲を制限しつつ、自らに都合のいいレベルの境界条件向上を行う。

上図では、本来ならば「国民」から「政府」へと向かわなければならない制御チャネルの矢印が反転してしまった状態が表現されている。ゆえに「政府」が制御の最上位で「国民」が最下位という格差が生じている。

このような状況に具体的に次のような例が考えられる。政府が「世界」(この場合「環境」)に対して積極的に開発(境界条件向上)を行いながら、他方で、「国民」に対して法令を通じて強い行動制限を行ったり、情報を隠蔽しているとする。ある例外的な状況であったため、一時的にそのようにする必要があったと仮定する。しかし、開発が過剰に転じてしまった後も開発に対する「国民」からの批判が抑制され続けてしまう。その結果、多大な公害が「世界(環境)」から「国民」へ課せられているにもかかわらず、その状態が改善されないという状況が起きる。

このような状況が「自然(自発的・自律的)」に回復されるとしたら、どのような場合が考えられるだろうか。

fig15[図15]最低状態レイヤーである「国民」が、失われていた統計的意志決定(選挙・世論)を行使することで政府への働きかけが可能になる。政府は情報開示もしくは法令改正を行い、開発による境界条件向上を抑制する。結果、公害が軽減され、その件に関する国民の統計的意志決定は現状維持を選択する程度に向上する。

素朴に考えられるのは、(「世界」からの制御=公害の大規模化、深刻化により)「国民」のなかに「政府」に対する不満の感情が徐々に強まって、「政府」に抗議する運動がたちあがり、運動がひろがりをみせ、多くの「国民」のあいだで、「政府」に対して統計的意思決定を行使することへの意欲が高まる、という形だろう。

世論や投票行動を通じた「政府」への圧力は、政権交代をもたらすか、そうでないとしても、政権に強い危機感を抱かせることによって政策の変化を促す。結果、方針の変更を余儀なくされた政府は、「世界」(環境)への境界条件向上の働きかけ(たとえば過剰な開発)を抑制し、公害は軽減される。

この場合のように、レイヤー間の階層構造が一時的なものにとどまり、自然状態で回復が常に(適切な期間で)実現するならば、人工的な働きかけとしての「フェアネス評価」という制度を設定する必要はない。よって「フェアネス評価」の必要性は、状況を眺める人の持つタイムスケールに依存している。仮に、非常に長いタイムスパンをとることが許されるのならば、多くの場合3レイヤーサイクルの構造が自然に回復することを期待できるからだ。

回復の高速化のためのフェアネス評価

ゆえに、ここで問題になるのが「回復の速度(とタイミング)」である。

無限に長い時間のスパンで考えるならば、自然状態でも「劣化」の回復は充分に実現されることが期待できる。しかし、人の一生の時間は限られており、仮に、ある一人の人物の一生が、まるまる「国民」が最下層の状態である時間に含まれてしまうとしたら、(「満足」と「不満足」の時間的分配という点からみて)フェアであるとは言えないだろう。

さらに、3レイヤーサイクルが自壊(たとえば矢印が一部欠損)してしまったとしたら、無限に長い時間でみるとしても、(そもそも対象となるシステムが消滅しているので)自然状態での「回復」がなされないこともあるかもしれない。

多くの場合、制度設計は、「ひとりの人間が持つ寿命」という観点を超越して語られる。しかし、ある人間の一生全てに苦痛を配分し、別の人間に、その結果得られた幸福を全て配分するような制度を避けるには、なるべく個人の寿命期間の内部で回復が起きうる程度のタイムスケールを持つ制度を用意したい

以上の点から、「(自然回復ではなく)制度としてのフェアネス評価」が必要だと仮定する。また必要だとして、それをどのように機能するものと想像すればよいのだろうか。

3. フェアネス評価による、制度的な回復の具体例

フェアネス評価

3レイヤーサイクルでは、制御チャネルの方向逆転が「場合によっては」必要であると考えられ(テンポラリーフェアネス)、その逆転の正当性や期間を評価することを「フェアネス評価」と呼んだ(なお「フェアネス評価」には、さらに癒着や忖度や切断の有無を判断することも含まれるとする)。さらに、フェアネス評価は、利害関係者以外で、かつレイヤーサイクル内に存在するレイヤーによって行われるべきであると仮定した(図16, 17)。

なお本稿では、サイクリックな状態である二つのパターンについて、

①「国民→政府→世界→国民…」という制御の循環を「正サイクリック(Normal)」
②「国民←政府←世界←国民…」という制御の循環を「逆サイクリック(Reversal)」

とする。もちろん、図形的には「正逆」の割り当ては任意だが、民主主義では主権は国民にあり、「国民が政府を制御する」のが(法の精神に従うなら)本来の姿であると考えられるから前者①を正サイクリックとした。

なお、「正/逆」にして、「右サイクリック/左サイクリック」としないのは、各レイヤーの位置取りによって、同じ「右回転」でも「国民→政府…」となったり「政府→国民…」となったりするためである。

fig16[図16]

fig17[図17]

改めて上に、フェアネス評価が持ちうる位置関係を図示した。前述した通り、利害関係にある「世界-政府」間の劣化に対するフェアネス評価は、残りのもう一つのレイヤーである「国民」が行う(点線矢印)べきだ。同様に、「政府-国民」間に対する評価は「世界」が行い、「国民-世界」間に対する評価は「政府」が行う(図17, 点線矢印)。

制度的な回復が必要なアサイクルのパターンは六つ

三つのレイヤーがつくりだす矢印方向のパターンは全部で8通りであった。そのうちの二つは正方向と逆方向のサイクルが成立しているので、そのままでよい。一方、回復が必要な状態は、残りの6種類ということになる(図18)。以下で、この6パターンについてそれぞれ概説し、その後、そのうちの一つについて少し詳しく述べる。

fig18[図18]

パターン1 「国民」が弱者(1): 例)クーデター永続化とジャーナリズム

劣化により「政府」が最上層で「国民」が最下層になってしまったパターン。この時、「政府-国民」の関係に対して、「世界」によるフェアネス評価を通じた「介入」が望まれることになる。

ここで「介入」と括弧にくくる理由は、このフェアネス評価は制度化されている場合も、そうでない場合もありえ、また、制度化されていても、人による裁量の余地がある場合、自動化までなされている場合、など多様なタイプがありうるからだ。制度化されていない「批判」などは、フェアネス評価による介入なのか自然に任せた回復なのか見分けがつきにくいので「介入」と書いている。

なお、以下の図式は、ある劣化状況では「フェアネス評価」が「どのような意味を持つものであるべきか」について書いているが、それを「実現する方法(及び実効性)」については無視していることに注意して欲しい(「望まれる」や「期待される」という言葉は、実現できるかどうかはとりあえず無視して、そのような事が起きた方が良いと仮定する、というような意味で使っている)。

ある国のクーデター後、軍事政権による国民への圧政が生じてしまったとき、それに対して、国際的なジャーナリズムによる批判や、国連の決議などによる「介入」が期待される、というような例がこのパターンでのフェアネス評価にあたるだろう。なおここでは、最下層になることで一方的な被制御状態(矢印を2者から受け取っている状態)に陥ってしまったレイヤーを「弱者」と呼んでいる。

fig19[図19]パターン1 「国民」が弱者(1)

パターン2 「国民」が弱者(2): 例)制御不能環境と政府介入

「国民」が最下層になるパターンには、もう一つ、「世界」が最上層にくる場合がある。この場合には「政府」が「世界-国民」間の制御関係へ介入することによる回復が望まれる。実例としては、パンデミックや自然災害、世界規模の景気後退などによって国民の生活や生命に対する危機的な状況が訪れた場合がある。これに対しては、レンジャー部隊による救助活動、大規模なワクチン接種や保健・医療機構の充実、社会保障の拡大などの介入が自然に望まれるだろう。

fig20[図20]パターン2 「国民」が弱者(2)

パターン3 「政府」が弱者(1): 例)有名無実化した政府と相互扶助的アナーキズム

「世界」が最上層となり、「政府」が最下層の弱者になる場合もある。このときには、「国民」による介入が期待される。政府が弱体化しすぎて、災害や疫病に十分に対処できなくなってしまったときに、自生的に政府に相当するくらいの強い民間の勢力が出現して対処することが望まれる。たとえば、ボランティア活動の活性化、新薬や新しいテクノロジーの開発、それらをリードする企業の成長など。

fig21[図21]パターン3 「政府」が弱者(1)

パターン4 「政府」が弱者(2): 例)無政府状態と治安維持派遣

また、「国民」が最上層となり、「政府」が最下層となる場合。たとえば、特権化した国民の一部が非常に強い世論の誘導を行い、政情が不安定になる、あるいは、政府が弱体化して無政府状態になり、一部の既得権層が好き放題に振る舞う、などが考えられる。このとき、「世界」からの介入(国際社会からの経済制裁や軍事介入などによる圧力)が望まれる。暴徒による収奪や、内紛を政府が抑えられなくなっていたり、一部の階級の支配によって選挙が不正に行われることで、政権選択にも民意が反映されなくなっているような場合、国際世論による非難や、複数の国による協調的な経済制裁、場合によっては軍事介入などが必要になる場合もあるだろう。

fig22[図22]パターン4 「政府」が弱者(2)

パターン5 「世界」が弱者(1): 例)乱獲と抑制

同様に「世界」が最下層になる場合も、二つのパターンが考えられるが、そのうち「国民」が最上層となる場合をみてみよう。たとえば、民間企業による、森林資源や水産資源など、資源の見境のない乱獲があるにも関わらず、一部のステークホルダーによる国民への意図的な情報操作や、ロビー活動、圧力団体の活動などにより、政府がその規制に踏み込めないという場合がある。
このようなとき、政府は、政府自身としての責任を持った自律的判断に基づいて、(ロビー活動に抗してでも)排出権取引などによる汚染最小化への誘導など、環境保護のための何らかの抑制的な規制を設けることが求められる。

fig23[図23]パターン5 「政府」が弱者(1)

パターン6 「世界」が弱者(2): 例)汚染の隠蔽と暴露

最後は、「世界」が弱者になるもう一つのパターンで、政府が最上位にいる場合。たとえば、政府が過剰な環境開発で生じた汚染を国民に隠しているような状況である。このようなとき国民は、そうとは知らないままに、世界から持続可能性やコストを無視した過剰な資源獲得を行っていることになる。この場合、ジャーナリズムによる事実の追跡や、市民団体が政府に情報の開示を要求するなど、国民が介入して、政府と世界の関係を変更するような効果を持つフェアネス評価が求められる。

fig24[図24]パターン6 「世界」が弱者(2)

具体例、『パターン4「政府」が弱者(2)』の場合を展開してみる

以上、六つのパターンを挙げた。そのことで漠然と「不正」や「社会問題」という時の内実を、抽象性は保ったまま分類することができるようになる。ここでは、そのうちの一つ(劣化により「国民」が最上層で「政府」が最下層の弱者になってしまった場合=パターン4)を例として、具体的にどういう状態が考えられるのか、もう少し詳しくみてみたい。また、この例では、フェアネス評価による介入のレベルが「自然」「制度」「自動」と徐々に強化されていく。

「国民」レイヤーが最上層(=強者)で「政府」レイヤーが最下層(=弱者)になってしまった場合、フェアネス評価を行うのはどちらでもないレイヤーである「世界」ということになる。以下の図を示し、追って説明する。

fig25[図25]逆サイクリックから、『「政府」が弱者(2)』への劣化

上の図では、右の三角形で示される逆サイクリック状態から劣化が起き、左の 三角形のような状態になってしまった、というパターン4の変化を表している。

このパターンは、たとえば、国民(の一部である既得権益層)が、特定の団体との癒着による統計的意思決定(選挙)の操作を通じて(あるいは、賄賂など不当な力を行使して)政府に働きかけ、政府は、国民(既得権益層・特定の企業など)による世界に対する無法な行い(一部の既得権益者への優遇や資源の過剰な採取、外国人労働者への人権無視など)を制限することが出来なくなっているような状態、と読むことが可能だ。

このような場合、「世界」からのフェアネス評価の介入(図の赤の点線矢印)によって、「政府」が「国民」を制御できる状態が回復されることが望まれる。

それは、たとえば、最下層にある「政府」が、国際社会によって承認されるグローバルな法律の制定や情報規制などによって、国民の既得権益層の支配から脱し、国民の既得権益層は「自らの利になるが政府や国際社会のルールを無視した資源獲得方法」を実現しにくくなる、ということにより回復が実現する、などである。

この例では、特にサイクリックな状態を回復するためのメカニズムは存在しないから、自然回復、に近い。一方、制度的に状態回復を支援したり、究極的には自動的に回復するような手法もありうるだろう。

ここでは、サイクリック状態を回復し得るフェアネス評価の形態として「自然」、「制度」、「自動」の三つの種類を考えているが、それぞれどういうものなのかを、順にみていきたい。

フェアネス評価の裁量による区分

フェアネス評価:自然

「国民」→「政府」の関係に対して、自然状態で「世界」からの介入が起こるということは、具体的にどういうことなのか。

まず考えられるのは、歴史上よくある事実として、戦争(敗戦)によってそれまでの社会制度が壊れ、戦勝国が介入する新たな政府によって社会制度の立て直しがなされることで、既得権を持つ一部の者の特権がなくなるという場合だろう。しかし、これはあまりに犠牲が大きすぎて望ましいとは言えない。

他にも、国内で優遇され過ぎた既得権益を持った層が、国際的な水準に追いつけず、グローバルな経済競争に敗れて没落し、新たな勢力にとってかわられる場合や、国際的なジャーナリズムのはたらきによって、特権的な国民によるチートや人権抑圧が報道されることで、無視できない程の大きな声(外圧)となり、既得権益層の力が弱まる場合などが考えられる。

いずれもフェアネス評価を実現する仕組みがあるというより、自然に任せたら劣化から回復した、という方がしっくりくるような状況だ。また、この段階では、そもそも何かの権限を持つ人物が存在しないので、「裁量」はない。

フェアネス評価:制度

一方、既成の制度の範囲内で、「世界」からの介入がなされるとしたら、どのような場合が考えられるだろうか。

たとえば、国際社会からの圧力により、国際基準の遵守が求められ、特権的な位置にいる国民もそれを無視できなくなる場合が考えられる。核拡散防止条例や二酸化炭素排出規制、ESG投資、SDGsの運動などによって、特定産業から多大な利益を得ていた層が抑制的な影響を受け、行動変容を迫られる、などだ。

また、特権的国民の力をさらに大きくさせる違法な蓄財を防止する目的で、タックスヘイブンへの資産逃避やマネーロンダリングを防ぐために、国民すべてに対して、世界的に互換性のある金融情報アドレスを紐付けようとするFATF(国際協調のための政府間組織)の活動などもここに含まれるだろう。

このタイプのフェアネス評価は、多くの場合「法(制度)」として実現されるため、自然に任せた回復にはもはや見えないだろう。一方、この法は、その執行に関し権限を持つ人物や組織があり、裁量の余地がある

フェアネス評価:自動

「自動」とは、ブロックチェーンによるトレースなど、情報テクノロジーを介することで、人による監視や政治的折衝という裁量を抜きに自動的に作動するような制度のことを指す。

ここで、わざわざ「制度」とは別に「自動」という項目を考える理由は、「人が行う(裁量の余地を残しすぎた)政治は腐敗する傾向がある」という認識が我々にあるため、できる限り「人による裁量」が働く余地を減らしたメカニズムを考えたいからだ。「自動」の場合、再び自然と同じく裁量はない。だが、恐らく速度が「自然」とは異なる。

フェアネス評価の対象(固定・切断・癒着)による区分と自動化

ここまでは、「制御の方向の一部逆転がテンポラリーフェアネスとはいえない期間で起きている場合(=「固定」)というタイプの劣化」に対するフェアネス評価の介入について考えてきた。

ここからは、二つのレイヤー間で距離がゼロになってしまう別の劣化パターン(=「切断」「癒着」)についても、効果を期待できるやり方を考えたい。ただしこれらはラフスケッチであり、(未来に目を向けているという意味で)多分にSF的な話であるとも言える。

まず「切断」に対して。

切断とは、「国民」が「政府」による制御を完全に逃れるという劣化だった。よって、残されたレイヤーである「世界」の介入で、「国民」が「政府」の指令を無視できなくなればよい。たとえば、様々な倫理的課題に対して、世界最低基準からの乖離に応じて自動的に課税率を修正する仕組みを作ることや、国民がどれぐらい苦痛を感じているのか自動集計する仕組み(苦痛トークン※3※4)を作る、などが考えられる。いわば「悪い」行いをすると税金が自動的に上がるシステムである。この場合、自動であることに強い意味がある。もし、自動でなく何らかの折衝で税率を決めるなら、政治的なパワーバランスによって制度が形骸化され機能しなくなることがある。それは、歴史の常態だとさえ言えるだろう。

次に「癒着・忖度」に対して。上の例の場合、既得権を持つ一部「国民」と「政府」が一体化してしまっている劣化を指す。

この場合への介入は、たとえば「世界」によって「(既得権を持つ一部の)国民」に都合のよくない情報を自動的に公にされてしまうような制度が考えられる。ある国内部の資金の流れを全て可視化して、それを国民に配信することで、意図不明の資金流入先を特定させる。公開リアルタイムストリーミング予算執行の実施。ストリーミングにすることで既得権者の虚偽会計を排除し、連続会計政府を実現する、など。

最後に[図25]の例で詳しく分析した「固定」について、もう一度、自動化という観点から振り返っておこう。

この例では、固定は「国民」と「政府」との間で制御方向が逆転したまま固着してしまっている劣化だった。この状態が「世界」からの介入によって是正されることが期待される。これは、「政府」に対して特に強い影響力を持つ「一部の国民」と、それ以外の「国民」との関係が固定してしまっている状態だと考えることもできる。だから、既得権を持つ層の流動化によって、それを防ぐこともできるだろう。

対策として、上記の税によるコントロールのような例を続けるなら、国民の分割のされ方が更新されうる、状況に応じた課税率の自動変更による国民状態のシャッフルなどを考えることができるだろう。課税率を使って独占的な巨大組織を分割していく、あるいは、苦痛トークン行使量で組織に対する税率を変更する、などだ。ただし、「一部の国民」に制御された「政府」が、自ら自律的にそれを行うことは困難なので、税の国際化(国際課税)などが先に実現されている必要がある。故に「世界」からの介入が必要なのだ。

4. 結びと、次への予告

「制度化・自動化されたフェアネス評価」自体の劣化を防ぐには、最低どれくらいのレイヤーが必要なのか?

ここまで考えてきたことのそもそもの動機に、自然状態にある「制度」は劣化してしまうという認識がある。「フェアネス評価」というアイデアは、劣化を防止するために考えられた。しかしフェアネス評価が制度化された場合、当然この制度自体が劣化することもまた避けられないだろう。

前節で、制度の「自動化」についてのアイデアを挙げたのも、人が行う制度や政治にはかならず腐敗がつきまとうという認識があるからだった。しかし、自動化された制度であっても(統計やAIによる判断や明示化されたプロトコルが、たとえ理想的に機能したとしても)、開発者の悪意やエラーによって劣化する可能性は残されるし、単純に自動システムが時代遅れになることも多いだろう。

また、自動化されたフェアネス評価(下図のF1)が、意図とは違う方向に暴走する危険もある。例としてはAIの暴走やブロックチェーンの脆弱性などが考えられる。そのとき、以下のような理由で、「F1を、中立的な立場から評価する」レイヤーがいなくなる。

「自動フェアネス評価F1」の起点になるレイヤーL1が、F1の暴走に対して作動を修正する権限を持つとしよう。そのレイヤーL1が、悪意を持って暴走を放置したり意図的に誘導したりしなければ、結果的に自動フェアネス評価F1の暴走も防ぐことができるだろう。

しかし、「L1による修正の正しさ」を保証するためには、自動フェアネス評価F1およびその起点レイヤーL1への、「L1とは別のフェアネス評価F2」もどこかに必要になる(L1にはL1自身の動作を保証することはできないので)。

だが、3レイヤーでは、最初のフェアネス評価F1が評価している直接の利害関係者(Oとx)以外に、フェアネス評価F2を担うべき「(F1の利害関係者ではない)レイヤーL2」(残ったレイヤーがF1の当事者であるOとxのみなので)を用意できない。

fig26[図26]

劣化を防止するためには、当事者(利害関係者)からなるべく遠い立場にいるレイヤーによる監視や介入が必要だ。だが、どんな場合にも中立な第三者はあり得ず、監視者にもまた、その監視の正当性を監視する監視者が必要になる。

この無限後退を脱するために、3レイヤーサイクルの構造のなかで、直接的な制御・被制御関係のない「遠い」レイヤーに、フェアネス評価を行う監視者としての権限を分散させるというアイデアを提示した。

とはいえ、レイヤーが三つでは、まだ十分な「遠さ(=中立性)」を確保できていないとも考えられる。劣化の防止がある程度保証されるためには、最低限どれだけのレイヤーが必要になるのか?

「最低限」という条件をつける理由は、非常に多くのレイヤーを追加すれば、いくらでも中立性は確保できるようにみえるが、実装コスト、認知コスト、複雑さからくる脆弱性など、レイヤーが増加すると不利な面も増加していくからだ。また、「レイヤー」は基本「政府」「国民」「国際社会」や「システム開発者たち」など(大規模な)集団を意図しているので、現実的には「望むだけ追加する」というわけにもいかない。

前稿「権力分立と希望の幾何学」の末尾でも示したとおり、コストと中立性のバランスをとるには、五つのレイヤーが適切ではないかと我々は考えている。前稿と本稿は、5レイヤーサイクルが適切ではないかという結論へ至る権力分立についての論考(「本論」)への準備として位置づけられる(元々そちらの原稿が先に書かれた)。

補遺:本稿における「フェアネス」の意味について

「フェアネス」や「中立性」という概念については、メカニズムデザイン、AI、ソーシャルデザインなど様々な文脈で膨大かつ多様な議論や定義がある。しかし我々は、それらを吟味した上で、厳密に使っているわけではない。

ここでは、各種ルールを設計する組織と、そのルールの適用対象となる組織とのあいだに距離を保つという意味で「フェア」という語を使っている。前稿の冒頭でも述べたが、審判と選手の、陪審員と原告・被告の、癒着を防ぐという意味での「中立性」を保つことをフェアとしている。そのような意味での「フェア」だ。だから、たとえば人種に対するバイアスを持たない、というような意味でのフェアネスとは異なるので注意されたい。

(本論へ続く)