Oddly Satisfying Videoについての覚え書

土屋 泰洋 / Yasuhiro Tsuchiya

2020.06.02

Oddly Satisfying Videoとは何か

ここ数年、ネットで密かに増殖をし続けているOddly Satisfying Video(あるいはSatisfying Video)と呼ばれる映像群をご存知だろうか。この名前に聞き馴染みがなくても、Oddly Satisfyingな映像は度々目にしたことがあるかもしれない。Oddly Satisfying Videoとは、オンラインビデオのジャンル名のようなもので、「視聴者が心地よいと感じる出来事や特定のアクション」をドキュメントしたスタイルのもの。Wikipediaによれば、典型的な例として「木や泡、スライムといった素材を削ったり、溶かしたり、塗り付けたりするもの」「ドミノ倒し/Rube Goldberg Machine(いわゆるピタゴラ装置)」「手品/隠し芸的なもの」などがあげられている。「なぜかうっとり眺めてしまう動画」あるいは「不思議なよさがある動画」というのが、ニュアンスが近い翻訳になるだろうか。

Oddly satisfying videos are a genre of internet video clips that portray repetitive events or actions that viewers find satisfying. Typical subjects include materials (wood, foam, etc., and in particular slime) being manipulated (carved, smoothed, dissolved, etc.), domino shows, or parlor tricks.
Wikipedia: Oddly satisfying videos※1

以下はOddly Satisfying Videoの一例である。(YouTubeやInstagram※2で「Satisfying Video」などで検索すれば嫌というほど同じような動画を見ることができる)

YouTube: Satisfying Videos of Workers Doing Their Job Perfectly (2019)

YouTube: Oddly Satisfying Magnetic Balls | Magnetic Games (2017)

YouTube: Hydraulic Press | 9 Different Balls (2016)

YouTube: Oddly Satisfying & Relaxing Video to Help You Feel Calm (2020)

インターネット・ミームに特化した百科事典サイト、Know Your MemeのOddly Satisfyingの項目によれば、この奇妙な動画群がインターネット上で広がりはじめたのは、およそ10年前からと言われている※3。2013年にRedditで、「不思議なよさがある動画/画像」を投稿し合うOddly Satisfyingというサブレディット(いわゆる板)が立ち上がって以降、じわじわとそのポピュラリティが広がり、2020年4月時点では、420万人以上もの人々がこのサブレディットを購読している※4

また、Know Your Memeでは、Oddly Satisfying Videoから派生した、あるいは関係があるジャンルとして、物が偶然ぴったりとはまる場面を集めたPerfect Fit※5や、様々なものを縦横にキッチリと整列させて並べたものを俯瞰で撮影した写真をあつめたKnolling※6※7、水圧洗浄機の使用前・使用後を眺めるPower Washing Porn※8、また昨今日本でも認知度が上がりつつある、ゾワゾワとした感覚を味わう「トリガー」を共有し合うASMR(Autonomous Sensory Meridian Response※9)などを紹介している。

インターネットが炙り出す「非言語の感覚が規定するジャンル」

これらは一体何なのだろう?どの映像もひたすらぼんやり眺めてしまう不思議な魅力を持っているが、その魅力が何なのか、うまく説明するのが難しい。2018年、WIREDイギリス版ではOddly Satisfying Videoを紹介する記事の中で、この奇妙なムーブメントについて、YouTube動画トレンド分析の総責任者であり、YouTubeにおける動画文化を語った“Videocracy”(邦題『YouTubeの時代 動画は世界をどう変えるか※10』)の著者であるKevin Alloccaの考察を紹介している。

I think we’ve always had a desire to watch these type of things, but we just didn’t have a language for it. Now we do.
Kevin Allocca “The odd psychology behind oddly satisfying slime videos”※11

おそらく我々は元来こうしたタイプの動画を見たいという願望を持っていたのだけど、ただそれに名前がなかっただけなのです。(著者翻訳)

つまり、Oddly Satisfying Videoは新たに「発明」された映像形式ではなく、名前のない不思議な感覚に共感する人たちがインターネットによって顕在化したことによって「発見」された映像ジャンルであり、それまで視聴者がなんとなく共有していた「こういうタイプの映像」の非言語な感覚、いわば「よさ」に「Oddly Satisfying」という名前がついたことで、共感しやすくなり爆発的に広がったというわけだ。

このように、インターネットによって「発見」された事象というのは、実はOddly Satisfying Video以外にも多くの事例がある。例えば、RedditではOddly Satisfyingと近接するジャンルとして扱われているASMR※12も、Oddly Satisfying同様に、キーボードのタイピング音や、指でものをタップする音、ハサミの音、あるいはボブ・ロス(「ボブの絵画教室」の、あのひげのおじさんだ)のボソボソとした話し声といった特定の音に独特の心地よさを感じていた人たちがいたものが、「ASMR」という名前が付いたことで爆発的に広がった。

また、通称「蓮コラ※13」とともにネットで話題になった、小さな穴や斑点などの集合体に対する恐怖症の名称とされる、トライポフォビア※14という言葉があるが、これは実は正式な医学用語ではなく、小さな穴や斑点などの集合体が写った写真に同様の嫌悪感を感じる人々がいることからネット上で命名されたものであった※15。これもOddly SatisfyingやASMRと同様に、「ネットによって炙り出された恐怖症」と言えるだろう。

「Goods(よさ)」へのまなざし

Oddly Satisfying Videoが新たに発明されたジャンルではなく、発見された〜炙り出されたジャンルなのだとすれば、Oddly Satisfyingという言葉が生まれる前からOddly Satisfyingな要素を持った映像を制作している作家がいたはずである。

YouTube: Ralph Steiner “Mechanical Principles” (1933)

これは1933年にアメリカの写真家、Ralph Steinerによって撮影されたドキュメンタリー作品。ストレートフォトグラフィーの視点から歯車の動きなどをグラフィカルに切り取っている。工場の機械が淡々と物を製造する様子は、現代のOddly Satisfying Videoの中でもポピュラーなジャンルの一つだ。

YouTube: Charles & Ray Eames “BlackTop” (1952)

学校の校庭に清掃員が水をまいているのを見てその場で撮影したという、家具のデザインで知られるCharles & Ray Eamesの1952年の作品。洗剤で泡立つ水、乾いたアスファルトが湿って色が変わっていく様子などOddly Staisfyingな瞬間に溢れている。水の振る舞いをグラフィカルに捉えていく手法は先に紹介したRalph Steinerの1929年の作品”H2O※16”との類似が見られる。

YouTube: Charles & Ray Eames “Fiberglass Chairs” (1970)

FRPの椅子が手作業で作られていく過程をドキュメントした映像。ファイバーグラスにプラスチックを流し込み、プレッサーで型押しをする瞬間や、型押しからはみ出たファイバーグラスをカッターで切り取る瞬間などがたまらない。

どの映像にも物や事象に対するフェティッシュとも言える視線を感じることができる。後年Charles Eamesはハーヴァード大学での講演で、この眼差しを「Goods」という言葉で語っている。

YouTube: Charles Eames ”Norton Lecture ‘Goods’” 岩本正恵訳 (1981)

1971年にハーヴァード大学で行われた記念講義で、3枚づつスライドを映しながらCharles Eamesが「もの」(Goods)について語るというもの。上記の映像でも見られたようなモノ、事象に対してのフェティッシュな視点が語られている。

「もの」(Goods)というのはじつに魅惑的です。

布地には独特の魅力があります。布地そのものの外見、動き、感触──布で何を作るか、何を縫うかではなく、布地そのものの魅力があります。

そしてロープのかせも魅力的です。このごろはもうロープはかせでは売っていないでしょうか。おそらく物干し網はかせで売っているように思います。かせはお互いにつながっているように並んでいます。これだけで完璧な感じがします。かせをほどくのがもったいない。そのままとっておきたくなります。

リールに巻かれた網もみごとです。これは針ヤード、帆を上下させる動索です。すばらしい。船具屋などで売られている様子…巻きついている様子…この細部。これもまたすばらしいものです。

糸玉。糸玉を捨てるなんてできません。糸玉にはなにか特別なところがあります。封を切って使いはじめる直前の瞬間。まるで封印されたような状態の糸玉は、手放したくなくなるもののひとつです。糸玉の入っているあの鉄の道具もすばらしいですね。下から糸を引き出すと、永遠に出てくるような気がします。

小さな樽に入った釘。樽に入った釘もすばらしい。家で何かを使いはじめるとき、かならず「釘の樽を開ける」と言う人がいるでしょう。このごろは家庭に樽入りの釘はありませんが、何かを使い始めるときの、あとは減る一方のものを使い始めるときのシンボルです。

箱入りのお菓子。これも樽入りの釘に似ています。最初のひとつに手をつけたときは、樽入りのりんごもそうですが、まだまだあると思うものです。樽入りも釘もそうですが、いつのまにかなくなってしまいます。

紙束。夢に見たことがあるでしょう。じつに美しい。

封を切った包みにも独特の魅力があります。隅が破けているようす、まるで誘っているようです。最初の一枚を取り出す時の、あの特別な感覚。なにかが変わるような、あの感覚。

箱入りのチョーク。チョークは箱に入って並んでいる時が一番すばらしい。箱にもさまざまな種類があります。このごろでは箱入りのチョークにめったにお目にかからなくなりました。

薪の束。ある時期にはこのうえないあこがれの対象です。薪にも、あの感覚、最初に手をつけるときのあの感覚があります。最初の一本を取り出すと、もう束は崩れてしまう。そしていつのまにか、薪の束はなくなってしまいます。

これが「もの」(Goods)です。
Charles Eames “Norton Lecture ‘Goods’”

講義の中で「Goods」というものが単に「物質」の話ではなく「事象」についても語られていることに注目したい。この言葉自体は、非言語な感覚=「よさ」という言葉に近いニュアンスを包含しているのが興味深い。

「よさ」を先鋭化するインターネットのアーキテクチャ

このように、以前からOddly Satisfying VideosやASMRのような非言語の「よさ」は既に存在していた。ではなぜ、2010年代に入ってからこれらが再発見され、急速に広まっていったのだろうか。これは、2010年代に起こったインターネットにおける以下4つの構造の変化が関わっていると考える。

①YouTubeをはじめとする長尺のビデオコンテンツだけではなく、写真と動画の中間にあたるようなマイクロビデオと呼ばれる新しいメディアとグローバルプラットフォームが登場したこと。RedditにOddly Satisfyingのサブレディットが登場した2013年は、まさにVineが登場とともにTwitterに買収された年であり、それを追うようにInstagramが動画対応した年でもあった。

②Pinterest、Tumblrなどの映像やビジュアルといった非言語コンテンツにフォーカスしたソーシャルブックマーク/ミニブログサービスがミレニアル世代を中心にユーザーを拡大しはじめたこと。これらのサービスはInstagramやFlickrといった自身の写真をアップするという用途よりも、ネットで見つけたお気に入りの映像や写真、テキストを引用という形でクリッピングしていくという行為をベースにしており、さらにrepinやreblogという仕掛けによって、自分がフォローしている人がクリッピングしたものをさらに自分の場にn次的にクリッピングできるようになっていた。これにより、ウェブ上から本来の文脈から部分的に切り抜かれたパーツが蓄積され、交換されていくという動きが加速していった。奇しくも、Tumblrが熱狂的なユーザー層が評価されYahoo!に買収されたのも2013年である。

③上記1、2に該当するサービスがいずれもフォークソノミーの概念を導入していたこと。フォークソノミーとは、ひとつのコンテンツに対して、分類者が決めた統制語彙による分類法「タキソノミー」ではなく、ユーザー(Folks)一人一人が各々好きなラベル(タグ)をつけることができるユーザー主導型の分類システムのことである。1、2のサービスで自分が「よさ」を感じるコンテンツに巡り合ったとして、その時に類似したより多くのコンテンツをひきあてるためには、ラベル(タグ)が必要になる。そこで、自然にOddly SatisfyingやASMRといった、よさを指し示すためのタグが開発され、リファラビリティが高くなっていく。「よさ」にラベルがつけられた瞬間というのは、これらの非言語の「よさ」に明確に「ニーズ」が生まれた瞬間でもある。

④動画プラットフォーム上でのマネタイズのためのシステムが整ったこと。再生回数が稼げれば稼げるほど広告収入が入るという極めてシンプルなルールだ。グローバルプラットフォームで再生数を稼ぐには、非言語で、スティッキネスが高い(=じっと見入ってしまう)Oddly Satisfying Videoはビュースルー率も高く、収益化には極めて向いているジャンルであると言える。(最近、Oddly Satisfyingな動画が、「Promoted動画」としてあなたのInstagramやFacebookのタイムラインに流れてきて、じっと見入ってしまったことはないだろうか?)

非言語の「よさ」がオンラインビデオという形で「標本化」され、その標本が個別に参照可能になった。

それらの「よさ」に共感しシェアする人々が顕在化した。
やがて、フォークソノミーのアーキテクチャによってその非言語の「よさ」に名前がつけられるようになった。

名前がついたことで、より多くのニーズが生まれた。
このニーズによるマネタイズを狙ったユーザが、より「よさ」のある動画を量産していくことで「よさ」が先鋭化されていった。

プラットフォームのグローバル化により非言語の「よさ」が追求されるようになり、競合との差別化とのために見ている人が「よさ」を感じることを主な目的として先鋭化され、より生理的な心地よさがただひたすらに追求された結果がOddly Satisfying Videoの正体である※17

ここまではOddly Satisfying Videoがどのように登場したのか、考察を展開してきたが、ここからは主にOddly Satisfying以降に登場したいくつかの作品をとりあげながら、Oddly Satisfying以降の表現のあり方を探ってみたい。

Satisfyingな瞬間を彫刻化する

ストックホルムをベースに活躍する映像作家Andreas Wanner※18は、ずばり「Oddly Satisfying」と名付けられた動画シリーズに象徴されるように、まさにOddly Satisfyingをテーマに作品を制作している作家だ。3D空間上の物理シミュレーションを利用して、完全にループするように再現されたOddly Satisfyingな現象がポストモダン風のアートディレクションでパッケージングされている。

Vimeo: Andreas Wanner “Gummy Tron” (2020)

基本的にOddly Satisfyingな動画は現実世界での中毒性のある瞬間をドキュメントしたものが中心的だが、Andreas Wannerの作品は、そうしたOddly Satisfying動画の中の中毒性を分析し、それをシミュレーション空間上で再現するアプローチと言える。

パリをベースに活躍するCGアーティストのRoger Kilimanjaro※19もAndreas Wannerと同様、Satisfyingな瞬間をループ映像として再現するアプローチをとっている作家の1人だ。

YouTube: Roger Kilimanjaro “Sliced gold loops” (2018)

Andreas WannerやRoger Kilimanjaroのような作風が登場した背景には、Cinema4DやHoudiniのように3D制作環境で高精度な物理シミュレーションやパラメトリックな動きの制作が行いやすいようになってきたこともあるだろう。しかし2015年あたりから、FacebookやInstagramで再生される動画がフィード上で自動再生になり、かつ短尺の映像はループ再生されるようになったことがより大きな影響を与えていると考える。それは彼らのポートフォリオにYouTubeやVimeoのリンクだけではなくInstagramアカウントへのリンクがあることからも明らかだ。

シームレスにループ再生されるこれらの映像は、YouTubeやVimeoのように始まりと終わりがあるフォーマットとは時間の概念が異なる。ちょうどOddly Satisfyingのエポックである2013年の数年前に流行した、GIFのループアニメーション機能によって、うまく画像の中に時間の概念を閉じ込める手法、Cinemagraph※20に見られるような、いわば現象を彫刻化するような時間特性を持っている。

ウェブデザイナー、中村勇吾の初期の作品の一つである物理シミュレーションを利用した“JamPack※21”や、ハイスピードカメラで水の中に文字が落ちる瞬間を組み合わせた“DROPCLOCK※22”、トラス構造が物理シュミレーションに忠実に崩壊していく様子を描いた“CRASH※23”など、これらの作品は、前述したSatisfyingな瞬間の彫刻化という動きを予見していた作品とも言えるだろう※24

Satisfyingのメカニズムを利用する

アメリカのサイエンス誌『Discover』は2017年、Oddly Satisfying Videoに関する記事の中でOddly Satisfyingを心地よく感じるメカニズムを考察している※25

Hard answers may be lacking, but the oddly satisfying videos appear to tap into a subconscious urge toward what psychologists call a “just right” feeling. It’s the sensation that arises when we’ve put things in order, and serves as a useful cut-off point for simple tasks. It’s also what often goes wrong in individuals with Obsessive Compulsive Disorder (OCD). For reasons not quite understood, some people with OCD don’t interpret the sensory cues that indicate the job is done, leaving them searching fruitlessly for a sense of completion. The quest for finality often leads to things like continually arranging objects, checking doors repeatedly to see if they are locked or cleaning things uncontrollably.
“Why Are Oddly Satisfying Videos So … Satisfying?※26

どうやらOddly Satisfying Videoは、心理学者が“Just right feeling”(まさにぴったり感)と呼ぶ、潜在的な感覚に関与しているようです。“Just right feeling”とは、我々が物事を整理したときに発生する感覚で、人が「ある作業が完了した」ということを認識させるために生じる感覚とされていますが、強迫性障害(OCD)の患者の多くは、この感覚をうまく感じれないことがあります。この“Just right feeling”を感じ取ることができないため、「作業が完了した」と認識することができず、「作業が完了した」ということを認識するために無駄な作業を繰り返してしまう。それが、場所の配置を延々調整しつづけたり、ドアに鍵をかけたかずっと確認したり、延々掃除をしつづけてしまうというといった行動に現れるのです。(著者翻訳)

“Just right feeling”のような認知のメカニズムを応用することで、新しい表現を探索することが可能だろう。映像作家、菅俊一の映像作品『Imagine Yourself / その後を、想像する※27』では、シンプルな図で描かれている事象は、どれもがSatisfyingな瞬間なように見えるが、映像の中で最もSatisfyingな瞬間は、画面がブラックアウトしてしまう。

Vimeo: 菅俊一『Imagine Yourself / その後を、想像する』(2019)

しかし、肝心な瞬間は描かれていないにもかかわらず、なぜか我々の脳内ではそこで何が起こるのか、想像できてしまう。菅はこれらの人間の認知における補間能力に注目し「指向性の原理」を提唱している※28

また、「特定のタスクが終了した、ということを知らせるための満足感の伴う感覚」の想起はユーザーインターフェイスにおいても非常に重要な要素である。近年多く見られるマイクロインタラクション※29と呼ばれるユーザのアクションに付随する細かなモーションデザインは、ユーザーの“Just right feeling”を想起させ、ユーザーエクスペリエンスを向上させるためのデザインアプローチと言えるだろう※30

未知の「よさ」を探索する

最後に、2013年に公開された1本の奇妙なミュージックビデオについて、その監督2人(細金卓矢と杉山峻輔)への伊藤ガビンによるインタビューの一部を紹介したい。

YouTube: tofubeats “No.1 feat.G.RINA” (2013)

—— 今日はこの極めて評判のいいMVの「よさ」について語ってみたいわけなんですけどね。

細金:「よさ」ね。でもこれアップするまで受け入れられるかどうかまったくわかんなかったですよ。自信ないってことじゃないんだけど、判断基準がなさすぎて。

—— うん。「よさ」しかないからね。

スケブリ(杉山):そうそう、中身ない(笑)。

細金:だから「よさ」が合う人にはいいだろうけど、それがいったいどれくらいの数なのか、未知数すぎてわからなかった。

—— 結果、すごく受け入れられたよね。でも考えてみれば「よさ」を描くって、ミュージックビデオの根幹でもあるわけで。

細金:うん。だから発表したらみんなが「よさ」って書いてて、それはよかった。

「よさについて tofubeats No.1 feat.G.RINA 監督インタビュー※31

Oddly Satisfying Videoが顕在化する前段階として、本記事では非言語の「よさ」がオンラインビデオという形で「標本化」され、その標本が個別に参照可能になったことが引き金になっていると考察した。これは現在進行形の現象であり、Oddly Satisfyingという既存のジャンルに自己言及する形で先鋭化していく表現とは別に、新たな、未だ名前のない「よさ」を探索する動きは今日もインターネットのどこかで続いている。うまく言葉にできないもの、その非言語の感覚が何故か人と共有できてしまうもの、それらを発見するところからすべては始まる。