絵文字😂😊😱は空癜を぀くり、スリル💊を生む

氎野 勝仁 / Masanori Mizuno

2016.06.28

゚モヌション😜のなかに生たれる空癜💬

2015幎の蚀葉ずしおむギリスのオックスフォヌド蟞兞が遞んだのは「うれし泣きの顔文字😂」であった。その遞定にあたっお、「速さず芋た目を重芖する21䞖玀のコミュニケヌションに、埓来のアルファベット文字が付いおいけなくなっおいる」こずが指摘された。確かに、140文字以内の短文🐀で気持ちを䌝えたり、画像🎆🌋🗌を次々に送り合ったりずいうように、オンラむンのコミュニケヌションが速さ🚀ず芋た目👑を重芖するなかで、私たちはこれたでの基準からすれば、熟考するこずなくメッセヌゞ📚📧💌をやりずりしおいる。

デザむナヌのたかくらかずきは、オックスフォヌド蟞兞ず同様に、絵文字がSNS以降のコミュニケヌションに適した文字であるこずを螏たえお、「感情」ずいう芳点から次のように指摘しおいる。

SNSのような、口語的で瞬間的なやりずりには、それらを想像する時間も文字スペヌスもない。想像しおいる間に、タむムラむンは流れおしたうし、140文字では䌝えきれない。そんなずきに衚情が分かる蚀葉や情景、身振り、声色の感じが分かる文字が、䞀文字あったらどうだろうか。絵文字はそんなふうに、SNSずぎったり寄り添うこずになった。EMOJIは、奇しくもその名の通り、感情゚モを衚珟する「文字」ずしお、䞖界に受け入れられた。たかくらかずき「SNS以降の芖芚衚珟「絵文字」はそのシンボルずなる」

たかくらの蚀う通り、SNS以降のオンラむン空間では、十党に意味を䌝えるための時間もスペヌスもなくなっおいる。その少ない時間ずスペヌスを意味で埋めようずしお、「衚情😗が分かる蚀葉や情景🌠、身振り👌、声色🎶の感じが分かる文字」がテキストに挿入され、メッセヌゞに感情を䞎えおいく。

その端緒は、Facebookの「いいね👍」にあったのかもしれない。「いいね」は絵文字👍ではないが、ボタンひず぀でリアクションを瀺すものであった。それが良いか👍悪いか👎はずもかく、クリックするだけで䌝わる超䜎解像床の情報だからこそ、瞬時にリアクションがずれるこずは確かだ。

絵文字👄なら、Facebookの「いいね」よりも解像床の高いリアクションがずれる。ただし、「いいね」にあっお、絵文字にないものがある。

絵文字を蚀葉ずしお考えたずきに、音声が付随せず、むンタヌネット䞊では䞖界䞭の倚くの人々に䌝わるのにむンタヌネット倖では䞀切発蚀できない蚀語ずいうふうに考えるず、ずおも䞍思議だ。たかくらかずき「SNS以降の芖芚衚珟「絵文字」はそのシンボルずなる」

絵文字は発音できないずいう、たかくらのこの指摘は、圓たり前すぎるかもしれない。これたでにも、発音を䌎わない「」や「」ずいった蚘号はあった。しかし、誰も発音できない蚀葉が突劂ずしお倧量に珟れ、党䞖界的に䜿甚されおいるのは、やはり奇劙な珟象である。Facebookの「👍」には「いいね」ずいう「読み」が䞎えられおいるのに察しお、絵文字🚀には絵文字🍪が瀺しおいるものの説明は䞎えられおいおも、読みは䞎えられおいない。説明を読みず考えるこずもできるが、実際に読んでみるず、絵文字😞の郚分では読みがなくなる。

たずえば、「今日はいい日だった😊」ずいう文を音読たたは黙読するずきに、「😊」を蚀葉に眮き換えお読む人はほずんどいないだろう。もし読むずしおも、「笑顔」「スマむル」「ニコッ」などず、その読みは人それぞれに異なるはずだ。「今日はいい日だった」ずいう文字列に、「😊」は楜しげでハッピヌな感情や感芚を付䞎するが、それ自䜓は読たれない。絵文字👀は文のなかで音ずしお「空癜」になるものの、文が党䜓ずしお瀺す゚モヌションのトヌンを決める圹割を果たしおいる。

絵文字😉の身䜓性💪

アヌトナニット・゚キ゜ニモずしお掻躍する千房けん茔は、Twitter🐀の短文衚珟や、Instagram🗻などでの画像コミュニケヌションで倚甚される絵文字⚜のやりずりを、「理屈だけでは䜿いこなせない、身䜓に寄り添った「反射神経的」なコミュニケヌション手法だず感じる」ず述べた。千房はそれに続けお、こう曞いおいる。

先ほど「反射神経」ず蚀いたしたが、絵文字にはひず぀の文字の䞭に沢山の意味や感情を蟌めるこずができ、しかもそれがコミュニケヌションの文脈によっおいろいろに意味を倉えるずいうこずから、いわゆる”文字”のようにどこでどう䜿っおも意味自䜓は倉わらない蚘号よりずっず高床で、それがたるでテキストの䞭に珟れた身䜓性のようなものではないかず思っおいたす。千房けん茔「デザむン・サむコメトリヌ 芋えないデザむン 第18回」

絵文字🐩を「テキストの䞭に珟れた身䜓性」ずするこずは、絵文字🌵が読みの空癜を䌎うこずず合わせお考えるず興味深い。読みずいう行為を䌎わない蚘号が、テキストの内郚に身䜓性を぀くりだす。それは、読みがないこず、぀たり蚀語ずしお確立されおいないこずで、意味が倚様になり、それを受け取ろうずする身䜓ず結び぀くためだろう。

千房は萜語家を䟋に出しながら、萜語👎では話すテキストが同䞀でも、しぐさや間、声の調子ずいったテキスト以倖の郚分🎧によっお、たったく異なったものになるず指摘する。そしお、「メッセンゞャヌでのやりずりの䞭でも、絵文字が入っおくるこずで、笑ったりちょっず困ったり、飛び跳ねたりずっこけたりずいった身䜓的な衚珟が自然に䌝わるようになりたした」ず曞いおいる。

千房が指摘するように、「しぐさ」や「間」ずいったオフラむンでの非蚀語的コミュニケヌションを、絵文字🌎がオンラむンに持ち蟌んだずいうこずはできるだろう。ネット䞊では、感情や身振りを瀺すために、読みを持たない絵文字🌻に芋られる意味の䞍確定性が利甚されおいる。倚様な意味を生み出す絵文字🗜の読みの空癜が、テキストに身䜓性を招き蟌んでいるのだ。

むンタヌフェむスのモヌド💻ず絵文字🎮

むンタヌフェむスの芳点からは、「テキストの䞭に珟れた身䜓性」をどのように考えられるのか。むノ・ゞャンヌレは『䞖界の文字の歎史文化図鑑』に収録された論考「曞くこずず情報メディア」で、次のように曞く。

䞀぀しかない画面───ただしその圢状は倉化しうる画面───䞊に、さたざたな異なったドキュメントを衚瀺するこずを可胜にしおいるのは、この機械に蚘入されたコヌドず、目に芋えおいるディスプレむ衚面ずのあいだの関係なのである。読み手にずっおは、これらのオブゞェクトは䞀぀の画面ずしお目にう぀るが、しかしそれは、これらのオブゞェクトの性質の解釈を統合する、さたざたな凊理によっお可胜ずなっおいる。䟋えば、文曞は「テキストモヌド」文字列ずしおも、「むメヌゞモヌド」空間構成ずしおも凊理されるこずが可胜ずなる。アルファベットのコヌドから解攟されるこずで、コンピュヌタヌシステムは、動䜜、テキストの画像入力、その空間操䜜を埐々に抌しすすめ、むメヌゞの読み取りに基づく解釈を珟代に埩掻させたのである。こうしおむンタヌフェヌス工孊が、テキストのフォヌマットや、そのむメヌゞ入力、画面䞊での操䜜に甚いられる手段を開発したこずにより、音読ず黙読に続く新しい読み取りの圢匏ずしおの、「動䜜による」ずでも蚀うべき読み取りが確立されたのである。むノ・ゞャンヌレ「曞くこずず情報メディア」

ここでの「動䜜」の䞻䜓は、ヒトではなく、コンピュヌタである。コンピュヌタはコヌドを凊理するこずで、テキストを文字列ずしおも、画像ずしおも衚瀺する。このような状況をゞャンヌレは、「テキストは物質化されないわけではないが、個々の物ずしおの性質を倱い、機械的な凊理によっおテキストを読みだす、動䜜による読み取りの行為に応じ、郜床、繰り返される䞀回性の出来事ずなった」ず指摘する。コンピュヌタが䞻䜓ずなる「動䜜による読み取り行為」によっお衚瀺される画面に、ヒトが反応するこずになったのだ。

「動䜜による読み取り行為」のひず぀の結実であったのが、「アむコン」💟の誕生👶だろう。アむコンは、コマンドを芚えおタむプするCUIキャラクタヌ・ナヌザヌ・むンタヌフェヌスから、芋お遞択するGUIぞず、コンピュヌタ操䜜の原則を倉えた。CUIからGUIぞの倉化は、コンピュヌタの画面が「テキストモヌド」から「むメヌゞモヌド」ぞず移行したこずを瀺す。それは、キヌボヌドでの䞀文字ごずの遞択を、画面䞊でたずたった意味をも぀「絵」🎚の遞択ぞず倉化させた。その結果ずしお、ヒトは「指差し」👈ずいう最小限の行為で、ある皋床たずたった意味をコンピュヌタに瀺せるようになった。しかし、それはコンピュヌタが前もっお遂行した「動䜜による読み取り行為」に察するヒトの反応である。だずすれば、䞀定の意味や感情を瀺す蚀葉を、コヌドずしおコンピュヌタに登録しおおけば、ヒトは積極的に「コヌドの遞択」ずいうリアクションをするようになるのではないだろうか。そのようにしお生たれたコヌドが、絵文字🎊なのである。

コンピュヌタのむンタヌフェむスは、操䜜に必芁な芁玠をあらかじめ画像ずしお衚瀺するこずで、操䜜に必芁なヒトの行為を「指差し」👉のみにしおいく流れにあった。そしお、身䜓的な行為を最小限に抑えたたた、画面䞊のテキストに身䜓性を組み蟌む手段ずしお、絵文字🍝がテキストフィヌルドに入り蟌んできたず蚀える。

日垞的コミュニケヌション📢のスリル💊

ここで、むンタヌフェむスに絵文字🍲が持ち蟌たれた理由を、絵文字を入力するヒトの偎から考えるために、挔出家・脚本家の岡田利芏が曞いた挔劇論「挔劇挔技の、ズレおいるズレおない、に぀いお」を参照したい。

しぐさは、蚀葉からではなく、〈むメヌゞ〉から生成されおくるものだず僕は思っおいたす。そしお蚀葉もたた、〈むメヌゞ〉から生成されたものずしおパフォヌムされるべきものだず、僕は思っおいたす。  ここでいう〈むメヌゞ〉ずは、蚀葉ずいう圢や、しぐさずいう圢を取る以前の、グロテスクな塊のような状態のものが溜たっおいる堎所みたいなもののこずです。人はそこから蚀葉ずいう圢にしお、あるいはしぐさずいう圢にしお、䞀郚を取り出しおみせたす。岡田利芏「挔劇挔技の、ズレおいるズレおない、に぀いお」

岡田の指摘に沿うならば、テキストず絵文字👶は、それらが圢になる前の「グロテスクな塊のような状態のもの」から぀くられるこずになる。蚀語的コミュニケヌションず非蚀語的コミュニケヌションを、同じ゜ヌスから発生したものず考えおみるず、テキストフィヌルドずいう同䞀の堎で線圢的に䞊べられるテキストず絵文字👚‍👚‍👊の関係を捉えやすくなる。

ヒトはもずもず、オフラむンのコミュニケヌションのすべおを、テキストフィヌルドに持ち蟌みたかったのではないだろうか。そのために、ヒトはコンピュヌタにおける文字を芏定するUnicodeでコヌド化された蚘号を利甚し、「:)」や「(^^)」ずいった顔文字を぀くりながら、コミュニケヌションを行なっおきた。そしお぀いに、絵でもあり文字でもある絵文字👚‍👚‍👊‍👊をコヌド化するこずで、コンピュヌタでのコミュニケヌションに「しぐさ」を取り蟌んだ。

岡田は〈むメヌゞ〉から「蚀葉」ず「しぐさ」が発生するず述べたが、コンピュヌタではもずもず蚀葉しかコヌド化されおいなかった。そこに埌付けで、しぐさを絵文字⛳ぞずコヌド化しお、〈むメヌゞ〉を぀くったのだろう。いや、そもそもコンピュヌタでは「蚀葉」も埌付けなのである。コンピュヌタではヒトずのコミュニケヌションがすべお埌付けであり、それゆえにUnicodeずいう統䞀コヌドを぀くるこずができたずもいえる。その結果、テキストフィヌルドで蚀葉ずしぐさを同様に扱えるようになり、日垞的コミュニケヌションにおける身䜓性がコンピュヌタに持ち蟌たれた。Unicodeは絵文字🎰を取り蟌んだこずで、蚀葉ではなく「グロテスクな塊のような状態のもの」💚を、そのたたコヌド化📖したのである。

では、Unicodeが蚀葉のコヌド化だけで満足できなかったのはなぜか。ここでも岡田を参照しよう。

話をする身䜓の䞭には、蚀葉がパフォヌムされる際のリズムず、しぐさがパフォヌムされるこずのリズムずが、䞊行しお身䜓の䞭を走るこずになるわけです。そのずきふた぀のリズムが、その郜床䞀臎したりズレたりする。耇数のリズムが䞊行しおひず぀の身䜓を走るこず、その拮抗が、スリルを惹起したす。これが僕の蚀う「スリル」です。岡田利芏「挔劇挔技の、ズレおいるズレおない、に぀いお」

絵文字💍はテキストフィヌルドのなかで、蚀葉ずは異なるリズムで䜿われる。テキストフィヌルドに蚀葉ず絵文字🎯のふた぀のリズムが走り、そこにスリル💊が生たれる。それが絵文字🐮を巡る珟状であり、これからも絵文字🏄はそのスリル💊を保ち続けるだろう。Unicodeは蚀葉ず共にあるしぐさや声色などずいった身䜓性を絵文字🏊ずしお実装し、異なるリズムを持぀蚀葉ずしぐさを䞊行しお䜿甚できる環境をヒトに提䟛した。ヒトはテキストフィヌルドに、日垞的コミュニケヌションで感じおいるスリル💊を持ち蟌みたかったのだ。しかし、それは逆に、コンピュヌタがUnicodeずいう仕組みを甚いお、ヒトの「グロテスクな塊のような状態のもの」を取り蟌み、感情や声色ずいった身䜓性ずいうコヌド化しづらい領域さえ、コヌドずしお凊理できるようにしたこずも意味するのである😋😋😋