本のなかで、もっとも魅力的なもののひとつは、本について書かれた本ではないかと思います。本の自己陶酔に付き合うこと。そのテキストの絢に囚われること。意味を考えるのをやめて、物としての本のなかに入っていくこと。声がこだまする底なしの宇宙で彷徨うこと。それは堕落のための読書。充実した孤独という快楽。本が自己言及をはじめると、合わせ鏡のようになった見開きのページの表面で、わたしたちの思考を乱反射させるのでしょうか。この本をつくるにあたり、本を読む経験についてあらためて想いをはせながら、本についてのテキストをこうして書いています。
それで思い出したのは、最近とくに忘れられがちな本の美点であるモバイル性でした。重厚なハードカバーでもないかぎり、本はテキストを読むのに必要な紙の重量しかありません。それはテキストが収められる物として、妥当な重さなのです。だから、わたしたちはテキストへの愛を、本に頬ずりしたり抱きしめたりすることで表現できる。小柄なスマートフォンにも同じことができますが、そんな気になれないのは、匂いがしないからでしょう。紙の匂い、インクの匂い、手垢の匂い、カビの匂い、これまで置かれていた空間の残り香が集積した本には、独特のエロティシズムがあります。灰白色の肌に掛かった黒いレースの襞。そして、ゆっくりと朽ち果てていく運命。本がわたしたちを惹きつけるのは、その身体性ではないかと思います。
今この本を手にとって触れてみた「感じ」はどうでしょうか。ソフトカバーなのは、ハードカバーの尊厳よりも、テキストの「読みやすさ」とページの「捲りやすさ」、本としての「持ち運びやすさ」を目指したからです。また「読み切りやすさ」を感じてもらうため、ページ数もあまり多くしませんでした。持ち歩いて読み倒してもらうことを考えた結果、ハーフエアコットンの紙を使用して、こんな形態に落ち着きました。
この『ÉKRITS Books / エクリ叢書』というシリーズは、2015年1月からWebメディアとしてデザインの思想を伝えてきた「ÉKRITS / エクリ」の記事を書籍化したものです。シリーズと書いたのは、この形式でこれから何冊かに分けて出版していこうと考えているからです。その最初の配本である『エクリ叢書 Ⅰ』では、「デザインの思想、その転回」と銘打って、「デザイン」そのものをテーマにした記事を中心に、ニュースレターで配信した編集後記をコラムとしてはさんで、レイアウトしてみました。
本は過去のテキストのブリコラージュで作られる「引用の織物」と言われます。テキストは何もないところから書かれるわけではなく、過去に書かれたものを読んだことに、すくなからず影響を受けるからです。その前に、わたしたちは過去に書かれたものしか読むことができません。書いている本人でさえ、書きながら読むことはできないのです。この本に閉じ込められた時間も、すべて過去のものです。それに対して、書くという行為は未来に向かって投げ出すことです。あらゆるテキストは、かつて未来に投企されたものであり、それが痕跡となることではじめて読まれます。エクリはこれまで「10年後にも読めるテキスト」をアーカイブすることを志してきましたが、これも実際に10年経ってようやく検証されることになります。
今から10年ほど前、今が10年後の未来だった頃に、情報技術の分野でボルヘスが引用した「シナの百科事典」をよく見かけました。その混沌とした分類は、文化によって不整合なカテゴリーが生まれる実例であり、情報を処理するには最悪だと思われていたのです。この「シナの百科事典」は、ミシェル・フーコーの『言葉と物』で孫引きされたことで、広く知られました。これは今から50年も前のことです。フーコーは、この分類を言語の不可能性ととらえ、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の一節「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い(のように美しい)」に照らし合わせながら、解剖台という「テーブル」に載せられた世界の「余剰」として拾い上げました。
今こうして情報技術の悪例と『言葉と物』を並べると、なぜか50年前の『言葉と物』の方が新鮮に感じられます。これはわたし個人の印象ですが、決して情緒を懐かしむような趣味ではありません。ただ単に、ずっと前に書かれた『言葉と物』の方が、より今に近い場所へ向かって書かれているように思えるのです。しかし、今から20年ほど前にさかのぼって、さまざまな思想がポストモダンという言葉でひとくくりに分類されていた時代に両者をくらべたら、また違った印象だったでしょう。同じ「テーブル」でも、合理性のあるデータ構造という意味の分類が、新しい価値に感じられたと思います。しかし、情報技術で進化する人類の神話の続きとして聞けた話が、今はむしろ懐古趣味に感じられるのです。
『マルドロールの歌』に出てくる「テーブル(解剖台)」は、フーコーによって「タブロー」として、つまり世界を切りとる「枠組み」として読まれました。その枠組みによって、どのように世界を見るのか。これは心的な視野であり、「世界観」と呼ばれるもので、「思想」とも言いかえられます。エクリがデザインにおける思想を大切に扱ってきたのは、どう世界を見るかによって、立ち上がるデザインの対象が変わってくるからです。「シナの百科事典」を見て、不整合なものだと判断するか、言語からこぼれ落ちるものを予期するか。これは正しさではなく、個性や時代性の問題なのです。
世界観が時代精神と重なってくると、過去の構造が転倒して新しい価値に置きかわり、「転回」と呼ばれる事態になります。近年のデザイン論では、クラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回 — デザインの新しい基礎理論』が、これまでデザインに関係ないと思われていた理論をつなぎ合わせ、書名のとおりの転回を目指しました。バウハウスからインタラクションデザインまで線を引き、新しい歴史をつくろうとする試みは素晴らしかったのですが、1990年頃からヘゲモニーを握っていたドナルド・ノーマンらの認知工学的なデザインから逸脱できたわけではありませんでした。
かつて認知工学的なデザインは、多くの可能性を切り拓いてきました。しかし、これはもうずいぶん前の話です。それからデザインがビジネスフレンドリーになり、いくつかのディシプリンが神格化され、セオリーとメソッドもインフレーションを起こし、デザインに関するサブジェクトの新陳代謝は激しさを増していきました。この状況はデザインにとって追い風とも言えるのですが、思想的には他の分野から大きく遅れをとってしまったのです。その原因のひとつが、教条主義と化した認知工学的デザインの保守性にあったと考えています。
長く続いた行き詰まりのなか、2013年に出版された人類学者のティム・インゴルドによる『メイキング』は、デザイン論の新しい転回を感じさせるものでした。昨今の人類学の存在論的転回やパースペクティビズムはもちろん、オブジェクト指向哲学やプロトタイプ論などの新しい思潮を踏まえながら、それらへの具体的な言及を慎重に避けつつ、道具論や制作論としてデザイン論をアップデートする。理論を組み替えて示す手つきもデザイン的で、実際にドナルド・ノーマンを引き合いに出しながら、ヴィレム・フルッサーを援用してそれを乗り越えてみせました。これがアメリカの心理学や情報学ではなく、ヨーロッパの人類学から出てきたのが、今っぽいと言いますか、もっと言うと今世紀のはじまりっぽいのかもしれません。
わたしが好きなのは、未来を語る本ではなく、未来へ連れて行ってくれる気分にさせる本なのだと思います。そして、本が過去のテキストによる「引用の織物」なのだとしたら、どんな人のどんなテキストをサンプリングして、どんなミームでミックスして、どんなコンセプトでエディットするかが重要です。インゴルド『メイキング』の新しさは、その世界観だけでなく、リイシューの対象を選ぶセンスや、それをつなぎ合わせる手際にも感じられました。こうした観点は、わたしが運営するエクリにも大きく影響しているでしょう。
エクリの執筆方針は、きわめてシンプルです。自分がひとりの読者として「読みたいもの」を書いてくれそうな人にお願いすること。そして、それがデザイン論として読めること。この2つです。自分の趣向と重なるものしか判断できないし続かないので、気づくとそうなっていました。きっと「読みたいもの」の条件に、「未来のテキスト」であるということも含まれているのだと思います。「未来のテキスト」とは、たまたま古書店で出会った昔の本が、まるで今の自分だけに向けて書かれていると感じるときのように、時間を超えて語りかけてくるテキストをさしています。
執筆をお願いする方のタイプも、最近やっと言語化できるようになりました。それは誰かに共感されたり認められたり、何かの役に立つために書くのではなく、自分が信じているもののために書く、そんな「孤独な書き手」です。記事が揃ってくると、執筆をお願いする方がすでにエクリの読者であるケースが増え、ときには向こうから執筆を申し出ていただけるようになりました。そんな書き手の原稿を受けとると、これまで自分が確信していた世界の枠組みが壊されるような感覚になることがあります。愉しさと危うさが入り混じった編集作業は、決して悪いものではありません。
最後に、この本を手にとってくださった方、いつもエクリのWebサイトを見てくださっている方、ニュースレターを購読されている方、エクリに執筆された方、エクリのデザインや運営や編集に関わっている方、つまり書くことと読むことの「この気違いじみたゲーム」に参加されるすべての方々に、感謝の意を表したいと思います。
今回載せたテキストは、2〜3年前に書かれたものがほとんどです。そのとき未来に向かって投げ出され、その痕跡がインクとなって染み込んだ「引用の織物」が、いつかの未来で、どこかにいるあなただけに語りかけることを、それが充実した散策のはじまりとなり、さらに未来へと向かうような気分にさせることを、心より願っています。
『ÉKRITS Books / エクリ叢書』について
オンラインでは「ITEMS」ページよりご購入いただけます。