近代ドイツと活字

​​ブラックレター素描 #4

河野 三男 / Mitsuo Kono

2026.06.10

1. 神秘主義と国家主義

フラクトゥールの特徴と位置付け

フラクトゥールはローマン体と同じように16世紀の間に占有を果たし、20世紀に支配的な書籍用活字としてその地位を確立していた。ここで主にそのフラクトゥールについて検討してみる。バーシューの「ドイツ語と書字の2書体:ヨーロッパ文化の真の表出か? (The German Language and the Two Faces of its Script: a Genuine Expression of European Culture?) ※1」という論考を覗いてみよう。

北欧で400年以上にわたって書籍印刷を独占したフラクトゥールは、他の書体の度重なる挑戦に直面する中でその独占を続けたし、ルネサンスでの変化からバロック、擬古典主義、歴史主義的な時期までの流行の変化にもかかわらず、独占的だった。この生命力を提供した主要因は、ドイツ語とロマンス語との間に続いた反目だったのです。

Philipp Bertheau ‘The German Language and the Two Faces of its Script: a Genuine Expression of European Culture?’

フラクトゥールの影響力が窺われる。フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語などのロマンス語派との間でゲルマン語派のドイツ語が並び立っていた時代の400年におけるフラクトゥールの勢力が大きかったことがわかる。ちなみにドイツ語はオランダ語や英語と兄弟関係とされる。

バーシューはさらに次のように書く。

ローマン体活字は明快で単純な輪郭からなっており、強い印象を生み出します。この活字は目に心地よいですが、目に対する刺激がありません。フラクトゥールに備わっている角のでっぱり、縁、菱形の脚、弓型または割れたアセンダーは、見てすぐにわかるような個々の造形を多彩に生み出しています。その造形は幅が狭くぴったりと寄り添っています。(略)単語の輪郭を素早く見分けられる特徴を与えています。その不規則性は重要で必須の性質であり、科学者たちが現在確認している事実です。

文字造形と単語の輪郭におけるある種の不規則性は、何度も現れる文字の判別性を高め、しかも退屈さと疲労を中和します。したがって、フラクトゥールで組まれた文章がローマン体で組まれた同じ文章よりも読みやすいならば、フラクトゥールの公式性は、読者に(例えば半意識下でも)ある効果があるに違いありません。

Philipp Bertheau ‘The German Language and the Two Faces of its Script: a Genuine Expression of European Culture?’

ここではフラクトゥールの文字造形の利点を述べている。また、「不規則性は重要で必須の性質」であるとは、個々の文字が類似していないという不規則な字様が連なることで判別性が高まるという意味である。四角の中に行儀よく収まる日本語の文字にはない特徴だ。また単語の輪郭が変化に富んで明快であるとの指摘がある。バーシューが別の箇所で言う通り、可読性を決定する最大の要素が「視覚の習慣的な慣れの程度」にあることは多くの同意を得ている事実である。

ちなみに、これ以外には「目を引く強い印象を与える程度・性質」を表す語がある。「誘目性 (noticeability)」とも呼ばれるが、これはディスプレイ用(見出し用)として大きいサイズでの使用に関わり、言葉に衣装を着せるなどと例えられる、言葉の強調効果に関わる。

書体を読み慣れているかどうかが、人の読書習慣での相性に関わることは誰でも経験で理解できる。ただし適度な変化が「退屈さと疲労を中和する」はずであるとしても、字間がなくて接触していることで各文字の判別性が低下するとも捉えられることから、この説はにわかには納得し難い。

テクスチャ、パターン、フォーム

上の引用で語られている「読みやすさ」に関する視点を整理すると、活字書体の捉え方に関わる次の3点がある。アメリカの活字の設計者で歴史家でもあるチャールズ・ビゲロウがタイポグラフィの専門誌に寄稿した記事 ※2を参考にして我流の解釈を示すと、次の分析的な視点がありうる。

第1のレベルは、テクスチャ (texture) である。元来は縦糸と横糸が織り合わさる際の表面上の肌理(きめ)や手触り感または質感を指す。ここでは活字で組まれた文章レベルでの印象を指し、全体から俯瞰した広角的な視野からの評価で、読み手が文章組版の濃度と表情の変化を半意識的に感じる場面である。書体とその組版による現象だが、そのテクスチャと可読性の実現には確実な限界がある。テキストの文体の特徴が支配的であるからだ。ラテン語由来の長い単語が多く使われる文語調の文章、あるいは句読点が少ない文章では、行中の語間が少なくなり、リヴァー現象が抑制され、黒みが多く感じられる。リヴァーとは、箱組み(行長揃え)で見られる、語間が広めで行間が狭い場合に生じやすい現象で、語間の余白が縦方向に連なり細い川が流れているように見えてまとまりを失うため、避けられる。

第2のレベルは、パターン  (pattern) である。単語レベルでの語の輪郭・形状を指す。単語を形成する小文字のアセンダーとディセンダーによる上下の凹凸の変化が単語ごとに不規則であることで差異が生まれ、判別しやすくなる。逆に、大文字の単語が並ぶと読み取りにくいことは、文字の高さが等しくなり(ベース・ラインとキャップ・ラインの間に全ての文字や語が収まり)、かつその輪郭が長方形の長さの差異だけとなることから変化が少ないためである。活字書体の設計上の原則からすれば、アセンダーとディセンダーが長ければエックス・ハイトは低くなる。それによって単語の輪郭を形成する凹凸の変化の差が不規則で多様になり、判別しやすくなる傾向が増す。バーシューが言う通り、活字書体が「単語の輪郭を素早く同定する機会」を与えるとすれば、それは可読性に直接につながる。

第3のレベルは、フォーム (form) である。単語を形成するアルファベットの個々の文字の形状で、これは判別性 (legibility) に関わる。例えば、aとo、O(大文字のオウ)と0(数字のゼロ)、1(いち)とl(小文字のエル)と I(大文字のアイ)、などの差異が関わる。あるいはrとnが続く場合のrn がm と読み取られやすい場合なども含まれる(とりわけセリフ体つまりローマン体で多く見られる)。

この3つはどれもタイポグラファや活字設計家たちの目が評価するレベルである。また、数値化による比較ができにくいし、それ故に個人差もあり、さらには書体の特徴によってそれぞれ独自の表情と評価が生まれる。フラクトゥールの特徴は、個々の文字造形の差異について即座の判定が難しく、読み取りには慣れを要するという理由から、現代の読者には判別性と可読性に劣ると言わざるを得ないだろう。

ただここで一般にいう活字書体における可読性は、実は様々な要素・条件が絡み合っている。可読性判定における基本的な物理的条件としては、書体の特徴だけではなく、印刷用紙の色または質(主に表面のシボと呼ばれるしわ、平滑度など)と書体との印刷適性、行長・行間・語間という組版要素、さらには印刷時における墨色の濃度なども関連している(サイズが小さい文字がびっしりと組まれる辞典類では、墨色はややグレイを帯びて粘度が緩めなインキが選ばれることもある、と耳にしたことがある)。

また、書体評価の基本は、それが文章として組まれた状態においてなされる。大文字や小文字の個々の形状の云々は、優先的ではない。

そして特記すべきブラックレターの特徴がある。それはローマン体には備わっている斜字体(イタリック体)さらに小型大文字(スモール・キャップ)、また太さ(ウェイト)の変化による種類、それらがないことだ。それにより金属活字の時代では、1書体のブラックレターでの組版の変化の差は、多くの場合サイズだけに限定されるという難点がある。

書体におけるノモス

「シリーズ ドイツ語が拓く地平」のシリーズ2『ドイツ語と向き合う※3』中の第6章「書体のノモス」では、ブラックレターとローマン体の使用状況がまとめられている。

19世紀後半では、「ドイツ人の一般読者向けの書籍に限定すれば、83%がフラクトゥールを用いており、学術書では60%がローマン体を用いていた」という報告がある。また同じ頃、「ラテン文字」つまりローマン体こそヨーロッパの文化の証で、「ドイツ文字」つまりブラックレターは野蛮の象徴、という説が現れていた。そのような中にあって、ブラックレターが追いやられそうな状況が生まれていた。

20世紀初頭には、野蛮と称されたブラックレターを支持する状況が現れる。それは出版業者と印刷業者であったと報告されている。彼らは「全ドイツ言語および文字連盟」と「ドイツ文字連盟」を結成しており、フラクトゥールは「ドイツ語のまとう衣装」であり、「我々の世代と祖先とを結びつける」という見解で団結していた。ロマン主義が漂っていた中で愛郷心がここで再び頭をもたげていたようだ。

そしてこのような書体使用についての特徴ある対立状況が生まれていたことについて、遠藤から次のような指摘がある。

そもそも書体の問題が語られた分野に注目する必要があります。すなわち18世紀後半に書体をめぐる議論はほぼ出版や文学という分野に限られていたのに対し、20世紀初頭には、文字の使用に関係するすべての領域で書体の問題がアクチュアルなテーマとなったのです。したがって、読み書きや文字をめぐる言説の変容によって激化したと言えます。

遠藤浩介「書体のノモス」

単なる限られた文芸分野という文脈だけではなく、庶民が気づきにくい環境としての文字書体にまで統制が忍び込んできたのだ。ここには時代背景としてのロマン主義の浸透度をうかがえるだろう。

さらにここで一つの興味深い事実も遠藤により紹介される。それはタイプライターである。タイプライターはアメリカ製が主であったが、そのタイプライターが行政の分野で用いられたことで、それに有利なローマン体が公文書類の現場で使われた動きだ。フラクトゥールの支持者たちもフラクトゥール専用のタイプライターの開発を試みたというが、その影響は限定的だったそうだ。さらにフラクトゥールよりもローマン体の方が読みやすいという実験心理学者による結論も出ていた、とある。

ただし、1930年代のナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)政権下、ユダヤ系の書店や出版社に対してのみローマン体の使用が定められた。これは例外扱いである。他方で内務省や科学・教育・国民文化省は、ドイツ文字(ブラックレター)は「ドイツ民族の占有物」としてフラクトゥールの使用を教育分野で推進した。差別化の強調である。

時代は急速な展開を見せる。先に紹介したような団体の動きが加わり、教育分野を契機として「ドイツ文字がドイツ民族文化の価値ある構成要素」とされ、いわゆる書体の規範化(ノモス)という稀な環境が成立した。

自画像としてのブラックレター

これ以降はイヴォンヌ・S・シェダンの「砕けた姿:信仰心と神秘主義に挟まれたブラックレター (Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism)※4」を引用しつつ、ブラックレターと国家主義との関係を眺めてみる。そこではブラックレターを「自画像」と捉えて、言語とそのイメージ化について次のような見解が披露されている。

文字は二面性を持つ印です。つまり図像と抽象のように直感と理性を示すもの。社会と技術の発展は、ある時代の倫理的な意識と同様に、活字という小宇宙で美しさという視点で反映されています。言語と知覚は理性と感性の調和へ向けての相克ですが、活字の機能と造形を決定します。文字の造形は視覚化された語りです。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

文字の造形には感じる側面と思考を促す側面があるという。ここで扱われている文字機能を別の言葉で区別するならば、一方は感性の働きを促す視覚言語 (visual language) であり、他方は理性に関わる可視言語 (visible language) となるだろう。カル・スワンは『Language and Typography※5』において、この視覚言語と可視言語を異なる意味として提出し、後者の可視言語はタイポグラフィと同義または交換可能だと述べている。

前者の視覚言語は即感言語とも呼びうるが、単語や語句などでの訴求による反射的な読み取りに関わる。スワンによれば、「任意のシンボルによる体系」であるとされている。それは信号的な刺激によって一瞬の認知を促す感性の機能であり、サイズが大きめで使用される時には、シンボルとして個性的な特徴を発散するディスプレイ用の書体が主要な役割として誘目性を高める。またこの視覚言語は、コノテーションつまり言葉の含意に関係し、短い語句が放つ意味の増幅作用を促すだろう。つまりある言葉が放つイメージは、ある特定の文化の中で人々の感覚に訴える。これは読む者の解釈の幅を限定させ印象付ける手段となる。

後者の可視言語は可読言語とも呼びうるだろうが、持続的に理知の働きを促して解釈と認識に関わる。スワンによれば、「手書き文字、描いた文字、あるいは機械で作られた文字、正書法による形態の全てを含む」とある。さらに「深く埋め込まれた文化依存形の解釈に基づく行動を包含している」として、それに関わる者の慎重さに期待している。可視言語は内的対話を促進して思考の結実へと導く働きを持つ言葉だろうし、単語が長く連なる紙面や誌面を読んで理解するという長文テキストの読解に関わり、本文用の小サイズの活字書体の集合の場合である。

活字書体は常にこの2つのどちらかの機能を求められるし、時には双方の役割を担わされることもある。活字の常道的な扱いである。つまりこの意図的な活用の実態は、現代ではあらゆる媒体で日常的に繰り返されている。

スワンはタイポグラフィを担うデザイナーに関して、次のように指摘する。

タイポグラフィとして視覚形式を扱わねばならない者は、視覚上の新しい流行へと原稿を猿真似のように移し替えるよりは、言語伝達の原則を理解して、その原則を目で分かりやすいメッセージの伝達に応用すべきです。

Cal Swann, Language and Typography

スワンのこの著作では多くの貴重な指摘があるが、思想の伝達に関わる者における人間への深い理解に期待する姿勢がうかがえる。

話は逸れたが、先のシェダンはさらに続ける。

観念的な崇拝は、現代の実生活のあらゆる分野において見られる感情の欠落によって残された隙間を満たしています。一方で無慈悲で堕落した支配的な資本主義を見ますが、他方でサイバー・スペースというデジタル式の来世は、予言的な効果を伴って技術上の同じような神秘化を経験しています。そして現代、活字はこの時代の最極微の傾向を記録しました。つまり、言語の絵画的なサインとなったのです。思考が活字にすっかり置き変えられる限りでは、活字は透明のサインですが、もし真実と認識作用が観念体系(イデオロギー)の中に隠されるならば、それは神秘的な目くらましなのです。純粋な美学は装飾的な虚空あるいは盲目的な崇拝へと向かうのです。魔法の一方的な象徴物は、他者からの介入と排除を強めます。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

習慣的な行動だけで疑問を挟まない人々の単純な感覚・印象への警告とも受け取れる内容である。前段の引用にある「文字は図像と抽象として直感と理性の2つを表示する」は、「絵画的なサイン」と「透明のサイン」を指し、前者への警鐘を語っている。その反応は「神秘的な魅惑の象徴」へと人を引きずり込む機能を果たす。そして、シェダンは神秘主義を増幅する美的感性の危うさを警戒している。「理性はもはや異端か」とされるような社会変化を感じ取っているのだろう。

シェダンには、美への誘惑は容易には避けがたいために、美には警戒が必要だとする見識がうかがえる。単に「美しい、きれい」という言葉で済ませられる美は、ご都合主義と共に自己肯定感を促すために軽々と利用されやすい。そのような警戒心が働かないと危うい事態に陥りかねない、と諭される。美は快感ではあろうが、刺激としての強さではない深い美もあり、余韻が深く浸透するという作用もあるだろう。ついでに言えば、「透明なサイン」とは、「クリスタル・プラント」のことであろうし、これについてはヘルダーとの関連で先に述べた。

話はそれるが、この言葉で我々はビアトリス・ウォード女史の「水晶のようなワイン・グラス (The Crystal Goblet)※6」という短い文章を想起する。このタイトルは、当初はPrinting should be invisibleであり、講演用の際に用いられた。これを意訳すれば「印刷用の文字は見えない(気づかれない)方が良い」あるいは「活字印刷は目立たせずに」 とも言えようか。

ウォード女史の趣旨は、このエッセイの冒頭文にある。そこではワインを文章に、ワイングラスを活字に例えて、ワインの専門家であれば、高級ワインを飲む際には透明のゴブレットを選ぶはずだと書いている。つまり活字書体は、言葉の意味を素直に通すことでテキストの理解への役割を果たせる、との意味である。この種の何かに例えて説得する手法は、彼女の十八番(おはこ)である。

活字書体は言葉の意味と読み手の理性とを結ぶ媒介物である。その媒介物が主張したり目立ったりしては意味伝達の妨害になりやすい。したがって活字書体が意識されない透明のような存在として意味の裏に隠れつつ伝達の機能を果たす、という説である。言い換えれば、本文用の活字書体は非個性的あるいは特徴が際立たないことが理想だ、となる。和文書体においても、例えば活字書体設計者の鳥海修氏は、書体は「水のような、空気のような」存在として機能することを理想としている、とその著『文字を作る仕事※7』で表明している。水も空気も主役ではなく意識されにくいが、意味伝達行為を支える不可欠な存在である。

その論に従えば、次のような解釈につながる。ブラックレターのような個性ある書体で組まれた文章では、テキストを読もうとする(ワインを飲もうとする)前に、書体が醸し出す強い特徴が目に入る(ワインの飲み手は金色で模様が彫られたゴブレットが意識される)ことで、肝心のワインの色が見分け難くなる(テキストの意味が頭に入りにくくなる)という事態になりかねない。

つまり、ブラックレターは透明化するどころか、文章読解の妨害となりうる、との解釈につながる。活字書体が何がしかの効果つまり「神秘的な目くらまし」を演じることに警戒せよ、との忠告である。

ルターやデューラーの書体であるシュヴァバッハーとフラクトゥールは、まさにドイツのルネサンスと宗教改革の活字でした。ルネサンスと宗教改革はともに絵画的表現方法で芸術的およびプロテスタント的な倫理的価値観を広めたのです。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

土着的な書体であるバスタルダつまりその下位分類であるシュヴァバッハーとフラクトゥールがプロテスタントの価値観の普及に視覚的な支援を果たしたという説である。ドイツにおけるルネサンスの特異性をここに見る。ここには、意識され難いが確実に潜在的に働きかけている活字書体の機能としての特徴ある一面が示唆されている。「絵画的表現」とはブラックレターの造形を指し、視覚言語であるべき本文用書体が可視言語としての機能も発揮している、との指摘だ。

シェダンの言葉を続ける。

フラクトゥールの造形はどことなく新しさを得るには十分な柔軟性があります。つまり、ロマンティックなドイツ文学であり、それはおとぎ話と民謡から「幻想と力」のような作品までです。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

フラクトゥールがドイツ民族の同一性を補完した例である。本稿第3部で指摘した通り、ロマン主義における感性への訴求にフラクトゥールが符合した成功体験で、ある種の暗示を植え付けられた。また、「集団的興奮のイメージ」という見出しの下では、次のような意見が続く。

民族的に純粋な国家というヒトラーの空論的なほどの凝り固まった概念は、自己疎外感と人々の反動的知覚能力の弱体化へと導いたという意味で、文化を政治化しました。政治が耽美化したのです。芸術、建築、映画、写真術が倫理的な役割を剥ぎ取られました。残されたもの全ては美しい幻想でした。おそらく犯罪的な政策を合理化した、大衆を動員する言葉です。その責任ある個人は「血と魂」という神秘に置き換えられました。愛国主義から国家社会主義の大衆的興奮への移行は、再び活字に反映しました。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

神秘主義的手法はある能力を麻痺させる。それは批判力の麻痺であり、客観性の排除だろう。そこから権力はむしろ国民の中にかすかに残っている理性的判断力を利用し正常さを演出しつつ、一方的な耽美の雰囲気へと国民を扇動する。つまり「甘美な幻想の漂い」のうちに国民を強い口調で誘導し、人々は嬉々としてその力強い形容詞と動詞に動かされ、ついには従う。そうなると、いずれは心地よい言葉で感覚をそそられて、どこかひと方向へと連れられていく。

さて、大衆的興奮の裏には、水晶の透明さを象徴する「クリスタル・プラント」の持つ自信を強めたイメージが活用されている。つまり透明性による明快さと純粋性であり、結晶から得られると例えられもする論理整合性と規則性があることで安心できるという意味づけであろう。国民性ともいえる論理的な思考を特徴とする人々は、あたかも理性的判断を自ら働かせたかの錯覚を覚えつつ、安心してその神秘を支持できるように国家の意図に沿って自信を持って動いた、いや動かされたはずだ。批評・批判や不信感の見事な封殺術と言える。

ブラックレターは、「政治が耽美化する」状況の中で人々の興奮する感情の持続を支えた。その耽美化は、ナチスのプロパガンダを推進した映画にも各種のポスター類にも綿密に計算されて効果的に現れていた。そしてプロパガンダは人々の記憶のスクリーンに浸透し定着したことだろう。

2. ナチス時代とブラックレター

人間の国有化と家畜化

先に紹介したハフナーの『ヒトラーとは何か※8』では、オーストリア生まれのヒトラーはまるで人類の突然変異のような存在として登場した、という感想を抱かせる。ただ彼の登場は、民衆によって選ばれた形をとっていることを忘れてはならないだろう。ヒトラーは誇大妄想で自己愛が肥大していただけの内面を維持しつつ権力を独占的に悪用して、他者という存在を家畜として動かしたようだ。その証拠は、彼の口から「人間の国有化」という言葉が吐かれたとのハフナーの紹介でわかる。

ヒトラーが側近に語ったという次のような記録がある。「銀行や工場を国有化する必要はない。大事なことは、人間をしっかりと規律の中に組み込み、そこから出られないようにすることだ……つまり人間を国有化することだ」と。それは人の心(内面)の国有化であり、オトル・アイヒャーというデザイナーがその晩年に著作の中で嫌悪に包まれて言い放った「家畜化」でもあり、拘束された擬似安定の中での落ち着きだろうか。ナチズムという棚に囲まれて動物扱いされて喜んだ人々の環境だ。近代における文化的なエンクロージャー(囲い込み)でもある。

ヒトラーの時代よりも1世紀近く後に迫る現代では、人々はさらに情報を大量かつ嵐のように常時浴びせられて、ヒトラー以上の格段に綿密に構築された心理学の応用を尽くした訴求力で、かつ虚像を駆使した閉鎖的な環境下において、支配者はいっそう巧妙に家畜化しているのかもしれない。

ヒトラーの若い頃はボヘミアンで、自信のない落ちこぼれだったそうだ。ハフナーは、歴史に登場する前のヒトラーを次のようにまとめている。

人格の形成発展、人間性の成熟といったものが抜け落ちている。彼の性格は早いうちから固まってしまい、より正確にいえば停止したままだ。驚くほど変わらずそのままの状態で、なにひとつ成長しない、吸収しようとしない性格なのだ。

セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』

ヒトラーにはその目的は初めから妄想の中にあったのであろう。「中身のない人生を埋め合わせるために、早いうちから政治に熱中した」ヒトラーが政治家になると決断した際には、自分の中に「民衆に催眠術をかける能力のあることを発見した」という。ただし、国家という形態については何も持ち合わせていなかったようだ。この政治への異常なまでの熱中には、彼の強烈な劣等感を見ることも可能だろう。劣等意識の逆襲による社会または人間の奴隷化を実現する計画が、彼の中に巣食ったのだろう。しかしこれもまた、現代の犯罪心理学で解明できそうな単純な動機かもしれない。

ヒトラーは国づくりになど興味はなかった。国家がなんであるかも理解していなかったし、そもそも国家になんの価値も認めていなかった。彼にとって重要なのは民族と人種だけであり国家ではなかったのだ。国家は彼にとって、ただ「目的のための手段」でしかなかった。それも要は戦争遂行のためだった。

セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』

ヒトラーは自己愛の快感の虜になったようだ。彼は、国家の独裁的地位を強固にするために作戦を立て、自分たちに共通の敵を設定し、国民の視線を外に向けさせ、権力が進めたい重要な政策から目を遠ざけさせる。最近よく目にする権力者の自己保身における常套手段だ。独裁者の自己愛への率直性という内面には、他者という存在が希薄または皆無である。内面にある自画像だけが全てという世界に住んでいた。

ヒトラーは最大の敵をユダヤ人に定めた。国家の敵であるとも捉えていた。ユダヤ人の中には共産主義者が多いことから、「マルクス主義者の政治家や知識人を物理的に絶滅させること」、またユダヤ人は「ユダヤ国際主義」であったと規定して、「民族の知性を骨抜きにする人種を根絶するつもり」であると、ユダヤ人を危険視したそうだ。

ユダヤ人はヒトラー自身の飽くなき目的遂行の邪魔にもなっていた。国家の敵であるユダヤ人をこの世から消滅させることが確実な手段だという結論に至った。ハフナーはその態度を「妄想に導かれた精神錯乱」だと断罪している。そしてジェノサイドが決行されたのだ。それは、赤子や子供を一人でも残せば、その一人がいずれ成長して報復を志すことを恐れたのであり、それ故のだ。それは人間の家畜化ではなく排除であり、廃棄物扱いではないか。

だが、ヒトラーの司令によって間接的・直接的に殺戮を被った人種には、ポーランド人とロシア人もいた。その一例は、ロシアを征服するという意図を持って攻め込んだことからもわかるだろう。あるいは1940年のパリへの攻撃と制覇もある。さらには同じドイツ人もまた多くの命をヒトラーの仕掛けた戦いによって虫ケラのごとく奪われた。その自国民に対しても、粛清として何のためらいもなく銃殺した。「国家や民族の運命よりも自分一個の人生を優先した」考えに取り憑かれて「歴史よりも自叙伝」を好んだ結果が、「人生などいつでも放り捨てようと考えていた男に、ドイツの運命が託されてしまった」と、ハフナーは嘆いている。

メディア操作

ヒトラーを崇拝させるためのメディア操作が実行された。だがそこには、紙媒体である書籍や雑誌は避けられていたという。この意図がどこにあったのかは不明だ。これは偶然かもしれないが、ヒトラーの側から見れば正解だと言える。

つまり、書籍などでの活字つまり文章を追う作業は、民主的価値を維持するためには役立つと言えるからだ。『メディア伝説:活字を生きた人びと※9』や『グーテンベルクの髭※10』などの著者である図書新聞・社長の大輪盛人は、前著の中で活字を読むという行為には吟味し自問する余裕が与えられ、「待て、私はこう考える」と、立ち止まる時間が確保できると言う。静寂や沈黙の中での内省が思考を促して深めることもあろう。「テレビやラジオの大声に呪縛されやすい私たちは、その催眠的呪縛から身を剥がすために、活字を武器にすることができるはずである」と言う。つまり、盲目的な熱狂への突進を避ける効果が読書行為の有益な一面としてある、との説だ。前時代の発想だと葬れるだろうか。ただヒトラーは、紙媒体の限定的な影響力よりも、直接的で感情的な反応を期待できる別の媒体を選んだ。

音声言語や映像は、視覚という脳の一部が外部化したような器官に直接的刺激として人の内側に直進し、働きかける。そこでは立ち止まる猶予の時間を人に与えにくい。ヒトラーの作戦は理にかなっていただけに、その効果は明らかだ。

常識的なことながら、視覚は騙されやすい器官だ。錯覚はたやすく起こる。さらに、人の目は動いているものの方に強く惹きつけられる。動くモノに反応しやすい。まるで猫の目のように、現代人の多くは、対象物の画像や映像が激しく動けば動くほど、目を見開き視線を集中させて反応している。これはすでに習慣的な日常での「条件反射」の連続でもあろうし、動物的本能でもあり、抑制を効かせる瞬間もない無防備状態であり、何にも増して容易だからでもある。人は易きに流れる。

それと反対に、動かない活字への反応は、読むという主体的な意図と意欲がなければ起こりにくい。そのために文章を読むには、多少であってもそれ相応の覚悟が必要となる。そこには一定の姿勢で身体の抵抗を伴いつつ視線を保ち集中する意識の持続があり、しばし考える、反芻する、時に沈潜する機会がある。そのような静かな環境内での自問自答の時間を与える。それこそ、読むという行為の利点であり醍醐味でもあるが、「時間対効果」や「費用対効果」というビジネス社会での単純な鉄則に傾きやすい習性は、マックス・ヴェーバーの論を待つまでもなく、プロテスタントの中の原理主義的発想の極致に顕著で、「しばし待て」を拒みやすい直線的な傾向が特徴と言えるだろう。

読書における内省する静かな世界といえば、マックス・ピカート著『沈黙の世界※11』を思い出す。80年近く前に書かれた内容だそうだが、そのどこかに、ラジオが生活に浸透したことで我々の住む世界から沈黙の空間が失われている危機感が示されていたかと記憶している。その時代から見れば、この21世紀には暴風的な視聴覚メディアが日常の環境を支配し、ピカートの時代からみれば想像を絶する日常があり、音のない時空はほとんど稀だ。

作曲家の武満徹の著作『音、沈黙と測りあえるほどに※12』には、常人にとっては飛躍した鋭い指摘が多くあり、我々の平板な常識を切り崩してくる世界観が眩しい。沈黙に耐え沈黙に問いかける姿勢の中から音楽などの芸術が生まれ、その芸術は沈黙という絶対値の環境への返礼かもしれないとの姿勢が表明されているのだろう。彼の言葉には、例えば「芸術は饒舌に身をかざろうとする時に衰えるものだ」がある。沈黙に耐える中から生まれない自己表出への限界を指摘しているとも受け取れる。例えば、ドイツのロマン主義に発する特異な感性から生まれたものを声高らかに称揚しつつ、環境を制作物で飾ろうとした行動には、沈黙を恐れて逃げた状況、さらには沈黙を無価値とする考えがあったとしか思えない。

選ばれた人物:ヒトラー

しかし蛇足ながら、忘れてはならないことは、ヒトラーが選挙で選ばれた政党の中から表に現れたという事実である。選ぶように仕向けられたとも言えようか。これはわずか100年に満たない過去のことである。ドイツ国家の内外の複雑な政治状況はあろうが、事実であったことは教訓を残す。集団における意思決定のための手続きには、効率という尺度が採用されないことが基本だと前提共有されるべきであろう。

さてハフナーは、その著作の終章を次のような警句で締めている。

戦後世代のドイツ人がヒトラーの記憶を遠ざけているために、若い世代の大半がヒトラーについてもはやなにも知らないでいる。ヒトラー以来多くのドイツ人が、祖国を愛する自信を失っている。(略)過去を忘れて目先のことにうつつをぬかしている人たち、実はそのような人たちこそ、ヒトラーの遺志をもっとも忠実にかなえていることに、みずから少しも気づいていないのである。

セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』

ナチス時代のブラックレター

ここに『ドイツ語とドイツ人気質※13』の中から引用する。著者は活字書体の専門家でないがドイツ語学者でエッセイや書籍を多く発表し、かつてはラジオとテレビでドイツ語講座の講師を務めた小塩である。

ドイツ本国では、古典古代への復帰熱が18世紀半ばに高まり、特に文化面ではローマ字体(ローマン体、引用者)への復帰がさかんになる。大辞典編纂やメルヒェンで知られるグリム兄弟は19世紀人だが、おおいにローマ字体をすすめた。それがドイツ字体(ブラックレター、引用者)はすたれることがなく、両者併用時代が長く続いた。イギリスをはじめ、広くひげ文字を使っていた北欧、東欧諸国は19世紀にはすっかりローマ文字にもどってしまった。今世紀(20世紀、引用者)の1928年にドイツ、スイス、オーストリアで出版されたドイツ語の全書籍を調べると、ジャーマンのドイツ文字が全体の57パーセント、ローマ文字が43パーセントだった。(数字はアラビア数字に変更している:引用者)

小塩節『ドイツ語とドイツ人気質』(1982)

ドイツ語やドイツ文学を専門とする学者・文学者たちには、このひげ文字が気にならない人はいないだろう。厄介で面倒な文字書体だと感じる人もいるだろう。童話で知られるグリム兄弟の兄ヤーコブは、本来は言語学者であり、『ドイツ語辞典』編纂や「グリムの法則」を世に出したことで知られている。ゲルマン祖語と印欧祖語との子音の対応に法則を見出した一人としての功績があるそうだ。なお、小塩の文章には、1928年というナチス政権誕生直前のブラックレターの使用状況が語られており、参考になる。

ドイツでは割れた活字書体は1928年では全書籍の約57%で、全雑誌の約60%で使われていたが、この割合は1891年以来変わっていない。ブラックレターの主な種類の中では、フラクトゥールはおそらく90%ほどに達するが、それは児童用の本と大判で複数巻の純文学で使われたからだ。新聞もまた割れた活字書体を使い続けた。

小塩節『ドイツ語とドイツ人気質』(1982)

「割れた活字書体」とはブラックレターを総称する。また、この辺りについて、『近代のタイポグラフィ (Modern Typography)※14』の著者キンロスは次のように解説している。

1919年以前ではローマン体がドイツの郵便切手の標準的な字様であったことは知られていたし、ブラックレターはワイマール国とともに使われ出し、さらに1941年にローマン体に代わるまで使用され続けました。

ロビン・キンロス『モダン・タイポグラフィ』

これはドイツで1870年に国家意識が高まっていた時代の文脈とつながる。つまり、フランスのナポレオン軍と戦った1813年と、その後にドイツ連邦が1867年に解体して、1701年誕生のプロイセン王国を中核とする連合体の北ドイツ連邦が生まれ、さらにその数年後にビスマルクのドイツ連邦つまり第2帝国が生まれた頃までの状況を背景としている。

つまりロマン主義の流れがこの時代にまで浸透していたことと重なる。それはヒトラーの臭覚に記憶されていただろう。やがて彼が率いるナチスが権力の座に就いた1933年から、ブラックレターつまりフラクトゥールは「国家の文字」として一時的にではあるが政治化した。

1911年には一度は「古い文字を公式に使う」という法案が提出されたが、僅差で否決されていたと伝えられている。すでに国家意識の高まりと文字改革が足並みを揃えて進みつつあったことがわかる。

ドイツ帝国は1871年に成立し、第一次世界大戦の敗戦を経て、1919年にワイマール共和国へ移行した。だが共和政は安定せず、世界恐慌後にナチ党が急速に伸長する。1933年、ヒトラーが首相に任命され、いわゆる第三帝国の時代が始まった。だが、第2党だった国家社会主義ドイツ労働党が躍進した結果、いわゆる第3帝国が誕生した。それと同時にフラクトゥールはドイツの活字であるとされ、同時にドイツ人の書き文字としてもフラクトゥールの使用が宣言された。「フラクトゥールと国家主義 (Fractur and Nationalism)※15」を書いているペーター・ウィルバークは次のように指摘する。

すべての公的印刷物、教科書、新聞は、フラクトゥールで組み直されました。子供はラテン語の書字を教わる前に中世の筆記体をモデルにした書体の書法を学んだし、国家による活字の勝利は確実なものと思えたのです。

H. P. Willberg, ‘Fractur and Nationalism’

この裏で印刷関連企業の懸命な努力があったことは、想像に難くない。定められた活字書体のサイズごとの母型または「はんこ(個々の活字)」を購入して備えるという苦労があったはずだ。とはいえ印刷物の活字書体を変えるための受注という利益がそれを埋め合わせたのではないか。細かなことだが、ブラックレターを印刷するには同じ内容をローマン体で刷る場合よりもインキを多めに使用することになるはずだ。黒みが多い活字書体を何ページにもわたり印刷するとなれば、インキ代も相応にかさむと想像する。ともあれ印刷者にとっては、過酷な時代だった。

チヒョルトの行動

改革が続々と進められていく中で、タイポグラフィの分野では、グロテスク体つまりサンセリフ体を手放し始めた。これは大きな混乱を招いたはずだ。ちょうど1925年にヤン・チヒョルトが『タイポグラフィ通信』誌に「タイポグラフィの基礎 (Elementare Typographie) ※16」を、1928年には『新しいタイポグラフィ (Die Neue Typographie)※17』、1935年には『タイポグラフィの造形 (Typographische Gestaltung)※18』と続けて出版し、印刷現場で続けられてきた活字組版の硬直した古い様式を見直すべく、もっと自由で動きのあるタイポグラフィ(つまり今日でいうグラフィック・デザイン)の可能性を主張し始めていた。いわば文字情報による伝達の効率化を提案した。

この新しい表明では、機能主義タイポグラフィを宣言していた。その主張は、中軸構成(左右中央組み)を排除して左揃え組み(フラッシュ・レフト)を推奨し、書体ではグロテスク(サンセリフ)体の使用を説いてローマン体を避け、そのほか紙面における視覚演出効果に関する捉え方を提出している。

ところがナチスが政権を掌握すると、モダニズムや前衛芸術は「文化的ボルシェヴィズム」「社会主義的な改革思想」として非難の対象となった。チヒョルトは非難されてナチスの弾圧を受け、一ヶ月ほど拘留された後はその脅威から逃れるために、スイスのバーゼルへと移住した。1946年以降にはイギリスのペンギン・ブックスでの書籍制作の仕事に携わる中で、書籍デザインには機能主義だけのタイポグラフィでは限界があることを悟った。つまり写本の時代とグーテンベルク以降の歴史に目を向けることになる。

先に紹介したキンロスはチヒョルトの言葉を引用している。反省を含んだ苦渋の言葉である。

「偶然ではないように見えたことがあります。それはニュー・タイポグラフィがほとんどドイツだけで排他的に行われたことと、他の国には受け入れられていないことです。とりわけ絶対的なものへのドイツ人の傾斜に対する姿勢であり、秩序へのその軍隊的な意思と独占的な主張であり、それはドイツ人気質のひどい姿に対応しており、ヒトラーの支配と第二次大戦を引き起こしたものなのです」。

ロビン・キンロス『モダン・タイポグラフィ』

チヒョルトはニュー・タイポグラフィ運動の主張に、不寛容と独善的な態度を垣間見たのであり、それはナチスの手法と重なった。彼にとっては若い頃の言動は、まことに痛恨の極みといえよう。また彼は「折れた文字は国家主義的だ」と、ナチスの台頭直前にブラックレターの別名である「折れた文字」をすでに非難していた。「折られた文字」と呼ぶべきか。

ドイツ国家の手法とは何か。それは例えばドイツ国家は、左揃え組みや強調用の円や罫線類の使用を廃止し、その代わりに中軸組みやフラクトゥールの使用という圧力を印刷業界にかけたことだ。一国家が書体の指定とともに文字組版のスタイルの強制にまで口を挟んだ。

この排他的で一方的な宣言こそが、チヒョルトの痛切な反省につながるのであろう。ただしチヒョルトには、沸騰する文字情報化への近未来を見据えていた言説もあることから、文字を読み理解するという行為への貢献といえる簡潔で直接的な訴求を意識的に広めようとする志向は、一定の価値ある提言でもあったと捉えられる。その志向は、商業広告が無神経なほどに席巻する現代にも通じるグラフィック・デザインの主要テーマであることから、先見性があったとも言えるのだが。

チヒョルトは、我々の知る「不易流行」を垣間見たと言える。それまでの広告や雑誌類のいわば文字情報への新しい対応法という時代の「流行」の要請に応えるための認識も必要である一方で、他方で単発的な情報とだけでは捉えられない書籍の制作には「不易」の原理と利点もあるとの覚醒である。つまり長文による歴史上の古典である物語や詩歌や論文などを紹介する仕事も貴重であり、その価値の共有には職人の熟練した技が必須で、単独ではとても完成できない複雑な出版という事業もあると確認した、と言えよう。後者に携わることで、様々な要素・知恵を発見し自覚し活用する仕事を垣間見たはずだ。例えば書籍紙面における版面の幾何学的な配置法の発見などをはじめ、数世紀前の書籍への精力的で集中的な探索によって見出した功績もあった。

話は逸れたが、先のウィルバークによれば、フラクトゥールというブラックレターとグロテスク体(サンセリフ体)との違いは次のようにまとめられている。つまり、ブラックレターは「ロマン主義、反動、国家主義、人間的、不明確」であり、サンセリフ体は「合理主義、進歩、国際主義、冷静、明瞭」だと、全てが反意・対称的に比較されている。書体と社会イデオロギーとの関係をこのように大胆明快に示すことは強引であるが、分かりやすい。本稿2部で紹介したルターとエラスムス以来の時空に通底する見えにくい風の色とでも言えようか。

ナチスの進める政策は、いわば反時代的となっていた。社会が緊密化して時代が要求するであろうと予測したタイポグラフィ運動が、文字情報の合理的で簡潔な提示法を発案したが、それを受け付けるだけの余裕を持っていなかった。盲目的になっていたのは国民でもあり為政者たちでもあった。新しいタイポグラフィ運動はやがてこの地を離れていった。

なお、ドイツ人の書体設計家であるエリック・シュピーカーマンは、面白い例えを語っている(DVD版『Helvetica※19』2008)。スイスのチューリッヒでノイエ・ハース・グロテスク体の改良型として設計され、命名では当初は「スイス国 (Helvetia)」を表していたことから「スイスのもの (Helvetica)」という意味に変えられたヘルヴェティカ書体について、「ヘルヴェティカはスイス思想だ。同じに見えるようにデザインされている。まるで全員が同じヘルメットを被った軍隊だ。個人主義を前に進めない」と。だがこれは、そのままドイツの一時期の風景にも当てはまる。誇り高く堂々として同じ方向に向かって進む軍隊的な集団こそ、当時のドイツであった。一体感の中での陶酔へと操られた結果で、そこには個人主義は邪魔だ。その軍国社会を裏で支えた多くの要素のうちにフラクトゥールが隠然として潜み、わずかながらも確実に役割を果たしていた。

20世紀前半のブラックレターの製造状況

1900年から1941年の間のドイツにおけるブラックレターの製造状況を記録したリストがある。これをみると、興味ある事実が見える。ナチス政権下での1933年から1941年までに区切った集計をまとめると、この9年間に45のブラックレターが新たに製造されていた。その内訳は、テクストゥーラは23で51.1%、フラクトゥールは19で42.2%、ロトゥンダは3で5.1%、シュヴァバッハーは0である。基本であり長く強固な歴史を誇るテクストゥーラにフラクトゥールが接近している事実が特徴といえる。

また、広く眺めた41年間では、フラクトゥールが136の製造を見ており、全体でのその割合は65%である。やはりフラクトゥールは近代ではドイツ特有の書体として、その存在を誇示し始めた状況が見られる。この背景には、先に述べたロマン主義や有機的自然観の声が隠然と反響している、と捉えても良いだろう。

ボルマンの通達

このブラックレター製造リストを1941年に区切ったことには、ある重要な出来事が絡んでいる。それは「ブラックレター使用禁止令」が布告された事実である。これは総統の意思として配布された回状で、当初は政府関係者を対象とした秘密文書だったが、やがて各省庁でもこれに基づく行政処置が取られた。

ここに指定されているシュヴァバッハーはゴシック体(ブラックレター)を代表していたと解釈できる。だが、なぜフラクトゥールではなくシュヴァバッハーがブラックレターの代わりに名が挙げられていたのか、不明である。現に上に示した統計によると、設計された活字書体の中では、フラクトゥールが過半数であったが、政治の世界では区別がなされていなかったのだろう、と推定できそうだ。ブラックレターの分類では、シュヴァバッハーはフラクトゥールとともにバスタルダの分類中に収められるためにあながち誤りとは言い切れない。専門外ではその区別が分かりづらかったはずだ。

ブラックレターの使用が唐突に禁止され、それにより印刷業者が混乱したことが容易に想像できる。活字の母型または金属活字を買い揃えることが大事な業務であった時代では、経済上の重荷であったはずだ。

この突然の宣言文を英訳文から以下に和訳する。

通達

総統に代わって一般への通達

いわゆるゴシック書体をドイツ書体とみなしたり記述したりすることは間違いである。いわゆるゴシック書体は実際にはシュヴァバッハーなるユダヤの文字である。後にユダヤ人が新聞媒体を手に入れた際に、ドイツに住むユダヤ人は印刷技術が導入され始められたときに印刷所を所有していたため、ブラックレターがドイツに大量に流入してきた。

本日総統は、R・アマンとA・ミュラーとの会談の中で、今後はローマン体を標準書体に指定することを決定された。全ての印刷物は徐々にこの標準書体に変更される。できる限り早く標準書体だけを学校で教えるように。

今後、当局によるブラックレターの使用を禁止する。役員の任命証や道路標識などは今後標準書体だけでしか作られない。総統の指示より、アマンはまず既に外国に向けているもしくは外国に流通することが望まれる新聞や雑誌を標準書体に切り替える。
M・ボルマン

この署名者ボルマンは、ヒトラーに提出されるすべての案を審査する立場にあり、ナチスの改革を管理した人物だ。この通達は、100年ほど前に使われた議論の悪用だとの話もある。言語学者ヤコブ・グリムが「ゴシック体活字はヨーロッパの他の国々からドイツを閉じてしまう」と述べたことを思い出させる。

先に引用したドイツ語学者の小塩は、この通達を「戦争の遂行のための合理化」、つまり「不便であって戦争遂行の邪魔になる」ことが理由として公表されたとしている。むろんこれは表向きであるとも言う。ブラックレターの使用を勧めた者が「ドイツひげ文字を完成させたのが、実はユダヤ人だった」とは「ヒトラーとしては口が裂けても言えなかっただろう」と述べている。

この通達文では、ゴシック体つまりブラックレターとシュヴァバッハーは同義であり、フラクトゥールもまた同じブラックレターの一種だという認識があったことが見て取れる。

ここにおける禁止の根拠は、しかしながら事実に基づくものではないと言われている。そしてウィルバークは興味ある説を提示している。

フラクトゥールの廃止の真の理由は、外交でした。ヒトラーの軍は1941年にどの全線でも勝利を収めていました。将来の世界権力は、その権力を行使するために、「世界の活字(ローマン体)」を採用しなければならなかったのです。

ところが、この行動の結果は、その意図と矛盾していました。つまり、フラクトゥールは今ではナチスの文字として世界的に認められています。ナチス自体が差し止めた後でもそう思われていたフランス、ネザーラント、ベルギー、チェコスロバキア、デンマーク(1918年までにフラクトゥールからローマン体へ公式用書体を変えていない)、ポーランド、そして占領されていた近隣諸国では、フラクトゥールは統治者の文字と認められていました。とりわけ、すでに逮捕された人に対する抑圧者の文字でした。裁判もあったりなかったり、軍の野営地への追放もあったりした。この関係は変わらずにあって、もっとも美しく純粋な造形のブラックレターに関しても変わっていません。

H.P. Willberg, ‘Fractur and Nationalism’

ヒトラー政府は、憎きユダヤ人がもたらした書体などは使用したくない。ドイツ民族の沽券にかかわるというのだろう。そこで世界制覇への布石としてローマン体使用へと舵を切った。「ドイツ語を世界言語にする」という文化帝国主義の野望があったが、それは逆効果となっていた事実が指摘されている通りだ。

つまりローカル色が強いフラクトゥールは、この無謀で幼稚な野望には逆効果となり、ヨーロッパのドイツ以外の国には馴染みのない特殊かつ奇妙な存在となっていた。それに気づかないほどナチスは内向きだったと言える。さらに加えれば、利用価値ありとしたブラックレターについての基本的な知識を持ち合わせていなかったことが明らかだ。つまり歴史を紐解かず飛びついた安易さだけが際立って残った。

この野望は急場の思いつきであるだろうし、今から見れば滑稽でもある。すでに「抑圧者の文字」として知れ渡っていたフラクトゥールは、今更その使用を廃止しても「時すでに遅し」であり、ローマン体の使用を布告しても、仲間として受け入れられない状況が固まっていたのだ。

ウィルバークは1941年の通達による混乱について記録している。そこには次のような混乱があった。

  1. 突然にして全ての印刷物はローマン体に差し替えられねばならなかった。
  2. 新聞は再組版され、教科書は差し替えられ、学校ではラテン語の書字法を優先的に教えることが実行された。
  3. この法令は同地の印刷工業界を通しての製作では大きな分裂を生み出した。戦中の経済ではとりわけ不合理であり、数十万トンの活字使用の停止を誘発した。

さらに、ナチス政権の判断には根拠が皆無だったという。その理由をウィルバークは次のように書いている。

唯一言えることは、ユダヤ人は元に住んでいた地名を与えられていて(例えばマンハイマー=マンハイムのように)、ユダヤ人の家族にはニュルンベルク近くのシュヴァバッハーという村にちなんでシュヴァバッハーと呼ばれる者がいたということです。

19世紀には活字鋳造所はユダヤ人所有の下にありましたが、テクストゥーラとフラクトゥールの過去300年間の成長にユダヤ人商人の影響力もなかった、ということは本当なのです。

H.P. Willberg, ‘Fractur and Nationalism’

この話が事実とすれば、ナチスは確認を疎かにしたのだ。それは意図的かつ強引であったとも、あるいは曖昧さをそのまま是認したい意図が優先された、という幼い心理が働いたと考えられる。ユダヤ人のこの世からの殲滅を意図するという大前提の実現に先走り、基本的な情報の確認を曇らせたのだろう。いわば、‘Facts and figures’ という物事の判断の基本を知らなかった単純ミスだったとも勘ぐれる。

二重の美化

『シリーズ ドイツ語が拓く地平』のシリーズ1『断絶のコミュニケーション※20』中の第3章に収められている田野大輔の論考「二重の美化:「意志の勝利」のプロパガンダ性をめぐって」により、ナチズムは国家と民族全体を「芸術作品」として形成すること目指したことがわかる。宣伝や戦争も含めたあらゆるものが、ヒトラーによる虚の美の理想のために動員された体制下では、美の機能変化があったと理解できる。

田野のあげるナチスの美的戦略は次の2つである。第1の美化は、プロパガンダ目的であり、「勝利の確信」「民族共同体の実現」を吹き込み、ユートピアを美しく提示した。ナチスの党大会でのサーチライトによる美的効果は有名だ。第2の美化は、芸術的演出であり、『意志の勝利※21』という映画における心理的な工夫も知られている。例えば、カメラの遠近両方の活用による視覚的な空間構成が観る者に絶大な説得効果を及ぼした。

まさに文化の上での自信を取り戻したかのような錯覚の上で、集団的意志が凝結し、独善的な理想が走り出した。国民あるいは民族という共同幻想もまた、美という否定し難い感性が統治の制御に利用された。だがその利用された者には反省として思い起こしにくいバイアスがかかることも、大いに起こりうる。

国家、政治、言語

ヒトラーは巧妙な戦略によって国民から絶大な支持を得たようだ。そこには最初にドイツ国民をヒトラー自身に引きつける戦略があった。国民の支持を確実にする為政者の悪知恵である。例えば、まず数百キロに及ぶアウトバーンの建設だ。これによって労働者に働く場を与えた。次に、大企業には福利厚生施設の設備を求め、社員食堂の設置やプールなどを労働者に提供させた。またフォルクスワーゲン社に大規模工場を建築させ小型車の製造を促し、労働者に乗用車を持たせて豊かさを享受させた。そして一定の所得を得たことで、5年間に国家の税収が3倍に増えたとも言われている。

他方で「ニュルンベルク法」を施行し、ユダヤ人を公職などから追放した。最後の仕上げとして例の大量虐殺へと進めた。その際に、この蛮行が実に国民の89.9%の支持を得ていたことがこの行動を可能にした。誰も文句を言えない状況を確保してから、悪魔のような狂気の行動に出た。この戦略は、現代の強引な為政者たちが独裁と感じさせない巧妙さを裏に隠した行動にも見られる。

以下では、シェダンの「砕けた印象 (Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism) 」をもう少し追ってみる。

国家という概念は一種の政治的構成概念であり、他方でスクリプトは言語と地理的言語地域と直接的につなげられています。文化的な現象は国境を越えて伝わるわけではありません。それは深く根付いている文化的自己確認を象徴しています。ドイツ第三帝国は国家という概念を、思想的道具として文化に役割を与えることで、民俗学的に明らかにしました。政治はこのようにして感覚化され、ブラックレターは国家の象徴として専有されたのです。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

この指摘の中の「政治の」「感覚化」とは、知的理解や受容を通る前に感覚・感性に直接に訴求する音のない衝動のことだろう。それが政治という表舞台での脇役として知らぬ間に国民の感性のスクリーンに投影される状態と言える。シェダンが別の箇所で「言葉の官能性」というときの拒絶しがたい強い磁力が生じて、ブラックレターの造形にまとわれた書記言語が多くのドイツ人の中で甘くかつ強く一種の喜びをもって響き渡ったはずだ。

また20世紀初頭には、産業と近代前衛(アヴァン・ギャルド)があったとした後で、次のことが指摘されている。

他方で、増加しつつあった絵画的な活字でドイツ表現主義がありました。それは歴史主義、美学主義、社会政治上の悪用に背を向けて、その代わりに現実の基本的な体験に焦点を絞ったのです。文学では言語的表現が新しい激しさへ向かいました。極端な言葉が活字によって視覚的に具体化されました。つまり、絵画的に古風なそしてドイツ語を表した感情的に大胆な文字が、意味と神秘的な憧れを模索したのです。それは表現主義者の無声映画用ポスターに見られるように、それと固く結びついたものでした。当初ナチスの宣伝ポスターは、ボルシェヴィズム(急進的社会主義)に対抗して、この政治的に過激な左翼の視覚言語を使用したのです。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

ここに活字という文字の役割の片方が如実にうかがえる。それは言葉の意味と声を増幅する機能で、この宣伝効果の最大限の活用と言える。歴史、美学、政治を避けて、現実べったりの体験に大衆の目を向けさせ、かつての華々しかったロマン主義や歴史主義から表現主義へと誘導した当時の策略が見えるようだ。

民族的に純粋な国家というヒトラーの空論的なほど狭い頭の中は、自己疎外感と人々の反動的知覚能力の弱体化へと導いたという意味で、文化を政治化させました。政治が耽美化したのです。芸術、建築、映画、写真術が、倫理的な役割を剥ぎ取られました。残されたもの全ては美しい幻想でした。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

ヒトラー自身が若い頃に画家を目指して挫折したことは知られている。その画家志望だった者が権力を手にして思い描く社会像の背景には、「絵画的に古風なそしてドイツ語を表した感情的に大胆な文字」が相応しかったこと、またそれが一定の力を吹き込まれるためには、歴史的そして状況的に麻薬効果を期待できたことは容易に理解できる。

ブラックレターの放つコントラストの鮮明な絵画的な造形が、誰にも共通するはずの官能的な刺激の強さを自覚させたのだろう。それがヒトラーという凡人の内なる狂気に激しく触れてうごめいたことから、耽美的そして夢想的な世界観が育つ中で、ありふれた文字書体であるブラックレターが同調したのかもしれない。一人の為政者の中に育った小さなイメージが、時代を塗り替えた。これらの社会・国民の動きの裏に、ロマン主義という故郷の心象風景と言語・音楽・文学などを通して、紛れもなく甘美な自信によって色付けされて染み込まされていた無意識の内面が浮かび上がるのだろう。

ドイツでの使用状況:1950年代から1960年代

先にブラックレターへの嫌悪を表明したチヒョルトは1957年に、「フラクトゥールがアンティカ(ローマン体)よりもドイツ文学に適しているにも拘らず、現在ほとんど使われていない」ことを嘆いている言葉も残している。また1959年には、フラクトゥールの地位がほとんど失われていることに遺憾を表明し、それを受けてエミール・ルーダーは賛意を表明して、それは憂慮すべき文化的な損失だとも書き残している。そして晩年の著作である『非対称のタイポグラフィ (Asymmetric Typography)※22』では、古典的なローマン体として推奨する書体を挙げている中で、ブラックレターも3書体を挙げているが、これは晩年になって視野が広がったからだろうか。

手元に半世紀前の記述があり、そこではドイツにおけるブラックレターの使用状況が記されている。雑誌『アルファベット』に掲載された、ウィルター・プラータによる「ドイツ語圏のブラックレターの現況 ( The Present Status of Black Letter in German speaking Countries) ※23」には次のような一節がある。

ブラックレター活字でのドイツ語の書籍組版用として、先に1%以下だとした割合は、おそらくドイツ語圏諸国では全体として本文組み用で同様に確実ですし、すでに減少しています。ディスプレイ用では失われたものは少なめで、その状況はより静かです。それは伝統、安全性、品質、経験に関係して、心情的な価値にとってブラックレターのデザインが長く広く続けて使用されている結果です。それは新聞や雑誌のタイトル、レターヘッド、博物館や図書館、保険会社、ホテル、レストラン、ワイン製造業の文具類に広く使われています。(とはいえ)それらはあえて言えば、狭い範囲です。同じ理由でブラックレターのカリグラフィは、免状や公式文書に、そして建築物の碑文彫刻、古代建築物の目立つサイン、新しい建物のサインにも、現在でも使われていますが、それは歴史的な背景を暗示することが求められている場合です。ですが一般的に建築物での使用はおそらくドイツの都市の再建と近代化という圧倒的な圧力によって減少しています。

Walter Plata, ‘The Present Status of Black Letter in German speaking Countries’

この報告によれば、ブラックレターは狭い範囲に限定されてはいるが、生き延びていることがわかる。この時代は歴史的にも最大の過酷な猛省を求められた第二次大戦後わずかに20年ほど経過した頃でありながらも、「心情的な価値」が一定の人々に静かながらにも根強く貼り付いている様子がうかがえる。また、書籍の本文以外での使用にも「歴史的な背景を暗示することが求められている」という特殊な意味づけがあった。それは文字書体におけるコノテーションや意味の増幅効果がこの文字を目にする者に無意識裏に振りかけられている事実を示している。タイポグラフィにおけるディスプレイ効果のほどを証明していると言える。減少傾向にあるという指摘ではあるが、静かな浸透であることが、かえって不気味でもある。その現象は、21世紀の前半で息を吹き返した。

ドイツでの使用状況:現代

先に引用したシェダン「砕けた印象:信仰と神秘主義に挟まれたブラックレター (Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism)」では、現在のドイツにおけるブラックレターについての次のような紹介が見られる。

言語と活字は、人口の大部分にとって文化上の自己確認の基本的手段であることをやめてきています。その代わりに国家主義者の神秘的な象徴、民族主義者の幻想、非合理的信心、そして神話がそれにとって変わっています。この誤った自己確認は、危険な武器となっているのです。

この社会・文化の状況であれば、絵画的ブラックレターが独裁者の偶像伝達物として再び誤用されることは驚くことではありません。とりわけ神秘的かつ風俗文化と神々への回帰がとって代わった時に誤用されます。サブカルチャー(非主流文化)はある国家の自己確認の復活を示す工芸的な活字書体あるいは厳格なゴシックの造形を使っています。スキンヘッド(丸坊主)は特にナチスへの志向を示します。彼らは長靴を履くだけでなく、革製の長靴的なグロテスク体活字を使います。時代の音楽と若者の教団にとって、ブラックレターは複数の自己確認を宣言する手段です。すなわち一つの集団、人々、一つの民族、一つの国家、ヘヴィメタル、黒いメタル、ゴシック、そして勇猛さを祝福するすべてあるいは高度に工芸的な手法、死と破壊の象徴物です。

本物の感情に代わって、我々は空虚感を強める人工の満足を経験します。例えば、それは吸血鬼、ポルノグラフィ、暴力に満ちた超自然的な(オカルトの)ゲームです。ブラックレター、ケルトの十字架、鉤十字、刀を模した金槌は、これらの感情に流れた自己確認教団の盲目的崇拝物(呪物)です。それらはナチスからの復活を示す様式の引用物であるだけでなく、とりわけ図像的手段を通しての徒党の一員を誇示して生き延びるための戦術です。活字選択における勇猛さと衝撃を与える「プロレタリア的」美を伴う脅迫観念は見過ごせません。

Yvonne Schwemer Scheddin, ‘Broken Images: Blackletter between Faith and Mysticism’

独断的な記述と受け取れる指摘であるため、軟着陸的な受け取りが必要であろう。だが、切実な注意喚起と捉えてもよい。現代の無邪気な動きの先に、何があるかという想像力が求められている。

歴史上の出来事への無視もさることながら、むしろ事象の裏にある無関心と無意識こそ危険ではないか。それは人間の心理と行動についての硬直化した理解や精神の働きだろう。上に引用した文章での指摘は、人々は「忘れまい」と決意しても、圧倒的多数のメディア環境が大局観を失い、その本性である刹那の出来事だけを短絡的に矮小化または装飾して繰り返せば、またSNSでの断片化した言説が天文学的な量で飛び交うこの時代では、重要な記憶を簡単に忘れ去るだろうし、あるいは記憶を葬り去ろうと画策されれば、我々大衆には、いとも「たやすく、都合よく、忘れる」特技がある。その時、ブラックレターの代わりとして何が利用されるのか。

上で言う「盲目的崇拝物」は、いつでも登場の機会を狙って待ち構えているはずだ。歴史がそれを教えている。そこに「人工の満足」が役割を演じる場が訪れる。それはあくまで与えられる環境であり、娯楽に似ている。娯楽的で一方的な劇場的空間では、何よりもそれに興じる人々に刹那的な満足を与える。

その状況は「空虚感を強める」満足が発火点となってもたらす。人間の脳内の古層に埋もれている生の感情の起爆材の上を安定的に覆うような理性の層が薄ければあるいは無ければ、脳内のアドレナリンは刹那の歓喜と甘味を嬉々として受け入れ、我々の日常の暮らしの破壊へと無自覚のうちに突き進むはずだ。

そんな事態に及ぶとなれば、エラスムスの「痴愚神」の登場を願うしか策はないだろう。痴愚の女神であれば、古代ギリシャの神々の名を出しつつ具体例をあげながら嬉々として説得の言葉を投げかけるかもしれない。彼ならば「氷のように凝結した熱情を、抑えに抑えた愛情を、道化の面の下に隠したもの」を倦きることなく饒舌に皮肉混じりに発するかもしれない。

ブラックレターはサブカルチャーとして生き延びる場を得られたようである。サブカルはいわば「小文字の文化 (small-c culture)」「下位文化」とも呼ばれることがある。これは大文字で綴られる場合とは区別し、非主流を意図的に強調するcultureだと捉えられる。

なお、欧文書体の「大文字による強調法」とは、大文字で組まれた単語を指す。権威や威厳や公式的な重さや、強い示唆または激しい口調の代替としての表記にも使われる。ただし、同じ強調用法でも、イタリック体における強調は主に意味の差異化に重点があり、強調度は限定的だ。

上に引用したシェダンの言葉によれば、非主流でのブラックレターは、その歴史の中での位置付けとしての様々な含意を通して、貴重な歴史を無自覚裏に土足で踏みつけつつ息を吹き返しているという意味を帯びる。

ブラックレターを明るく手放しで使用するあるいはその状況を時代の変化だとみなすその無邪気さは、肯定され得る。だが、そのわずかな愉悦が大きな動きへの契機となりうることを想像しなければならない。またドイツ国内には、かつての息苦しい状況を受け入れがたい世代が残っているだろうし、歴史上の事実として継承や検証を待つ事柄が残っていることもあるだろう。その記憶や記録は消せないはずであるが、杞憂は視点の自由度が狭くなる中で希薄化される危機にある。一定の距離を置いて検証を繰り返すことなしには、軽々とは語り得ないブラックレターの存在こそ「厄介モノ」だと言わざるを得ない。

ドイツの元首相ワイツゼッカー曰く、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と。喜劇役者チャップリンは、「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ」と。ヒトラーは、一時期は英雄扱いされた。いや英雄扱いさせた。まさに ‘My word is law’ を近代で実現した人物だった。

危険な兆候

ヒトラーの時代から1世紀近くを経た2025年に、あるニュースを耳にした。アメリカ国務省は公式文書における書体をサンセリフ体であるカリブリ (Calibri) からローマン体(セリフ体)であるタイムズ・ニュー・ローマン書体(Times New Roman、以下「タイムズ N・R」)へ変更すると発表した。省内の全ての文書をタイムズN・Rの14ポイントとするが、その理由は「伝統、様式、儀礼を想起させるからだ」と言う。伝統・格式あるいはMAGAを謳うならば、イギリス発祥の書体ではなく、古きアメリカ人の活字設計者の活字から選べるはずだ。例えば、粗製乱造気味に260ほどの書体を設計・再設計したモーリス・F・ベントン、新聞の見出しで使われたチェルテナム書体の設計者グドヒュー、110書体ほど設計した多作のガウディ、アイオニック書体の設計者グリフィス、イレクトラ書体設計のドゥウィギンズら、これらの古き書体設計者の書体から選ぶ作業もありえただろう。以前の政権でカリブリ書体が選ばれた理由の一つは、視覚障害者にも読み取りやすいことにあったそうだ。

一言加えれば、タイムズN・Rはイギリスのモノタイプ社とタイムズ社の共同で設計された新聞用書体であり、1932年に登場した。この書体設計の主導者はスタンリー・モリスンであり、彼は伝統を重んじはしたが、その思想はアメリカ国務省のこの書体への幼い認識とは月への距離ほどかけ離れており、米政権は無知をさらけ出している。

おわりに

本稿のメイン・タイトルに「素描」という語を用いた。結果としては素描以前の備忘録程度のまとめとなってしまったし、識者や専門家の論考をパッチワーク的に接ぎ合わせる作業だけで終わった。とりわけロマン主義や自然主義については我が土俵外のことゆえに皮相な理解と雑駁な記述となり、軽率さと消化不良を免れないことを痛感する。

計4部のテーマは、ブラックレターのドイツにおける受容の経緯を大雑把に探った内容である。そこにはドイツが永年にわたり被ってきた分国化の歴史と人種としての複雑な環境に対する自己発露の意思が窺えた。つまりドイツ独自の統一感への希求があり、ロマン主義の隆盛の中での文化の動きがその希求を後押ししたらしい。さらにそのような文化的基盤の動揺の先で、異常で残酷な状況が襲い、ブラックレターが注目された。それはインキュナブラの時代以降、ブラックレターの使用が宗教書と法律書などが中心的であった習慣に人々の身近で新たな役割が人工的に与えられたという変化であった。そして現在でもブラックレターは生き延びているようだ。それは通奏低音のように人々の感性の底に静かに流れ続けているからであろう。それを無視したり軽視したりはできにくいと思える。

歴史を眺めてきたその裏では、先に本稿3部で紹介したドイツ人の中にある二面性がよみがえる。理知的で体系的で厳格・強固な論を構築する合理的な一面と、情熱に身を委ねる非合理的な激情と強迫性である。時代の流れの先で、後者に点火する何らかの契機が訪れれば、理知的な合理性はたやすく影を潜めるだろう。しかしこれもまた、ドイツ人だけの特質として限定できないのではないか。そこで、ここではこのような反転する精神や心理の働きにおける落差とその速度の程度は、ドイツに典型的に現れやすいのだろう、という受け取りとして理解したい。

ここでは一例として、ドイツという国のある特殊な出来事に集中してまとめた。一国だけをさらりとすくってみたが、それでもそこには単なる活字書体が起こした一時的な現象だと侮れない側面があると気づけた。近代ドイツでの書体への感情移入の要請は珍しい例かもしれないが、今後の一つの警告となりうるだろう。この他の国々でも調べれば類似した現象があるかもしれない。

20年以上前に、ちょっとした打ち合わせの用事があり、一人のドイツ人の女性グラフィック・デザイナーと東京の街を歩いていた時のことを思い出す。私はある有名なマンションの社名のロゴを指差して、どんな印象ですかと彼女に尋ねたとき、彼女は「教会みたいねえ」と薄笑いを浮かべて即答した。

そのマンションのロゴがブラックレターだったからだが、その予想通りの返事に加えて困ったような表情と口ごもりに、ある思いがうごめいた。簡単には話せない、とでもいうようなその表情から「ブラックレターと教会や宗教との関係」と近代ドイツでの位置付けを確認したい好奇心が湧き出した。

見渡せば、奇妙な現実が目に入った。ブラックレターを「珍しい」「人目を惹きそうだ」とその違和感を逆手に選んでいるようにうかがえる現状や、世界的に名の知れた企業による分類不明のブラックレターのロゴの類を見かけることもあり、その楽観的に形状だけに注目しているような実態に対してラテン・アルファベット圏の人々に違和感や誤解または不快感を与えてはいないか、との懸念が湧き出た。この危うい杞憂を晴らすには基本的な情報が必要だろう。本稿がこの書体の理解への一助になればと願うばかりである。

連載記事「​​ブラックレター素描」